2007.08.06 Mon
ある行事に参加したときの話です。
地域ボランティアの方が中心となって、
小学生のキャンプがもよおされました。
バーベキュー、飯盒炊爨。
はじめに大人たちが、包丁や魚の扱いなど簡単にお手本を見せました。
そのあと、子どもたちはなれない手つきで野菜を切ったり、
お米を研いだり、また、魚をさばいたりして、
めいめいが担当する作業を進めていきます。
その間をぬって大人たちは、今日の食材に関する豆知識を話したり、
手順がわからず困っている子どもたちのサポートをします。
・横に並んで説明をしながら、子どもたちが手を動かすことに対し、
最低限のフォローだけをする。
・見栄えよりもまず、自分の作業を自分でやりきることを重視する。
・コツをつかんだ子には、すかさず「うまいねえ。その調子。」と
声をかける。
そんな様子を見ていたら、子どものころの光景が思い浮かんできました。
かつて、手伝いがてら台所で母親の料理を横で見ているように言われたこと、
その見よう見まねが、後々大きな「料理本」になっていたと気づいたこと、
食卓や台所での何気ない会話から得た「豆知識」が、今に生きていること。
「食育」の大切さが、あちこちで取り上げられるようになり、
食育基本法という法も制定されたということは、
食をとりまく現在の状況(問題)が、
もはや家庭での努力で解決できることではない、
そのレベルにとどまらない、ということなのかもしれません。
「朝食をとらないで学校に行く」
「栄養バランスが悪い」
「孤食(食事環境の問題)」…
私が子どものころ、「食育」という言葉になじみはありませんでしたが、
「食生活の変化」については、いろいろな機会で話題になったことを記憶しています。
おそらく、上に挙げたような問題も、20年以上前から警鐘がならされていたことでした。
でも、こうして自然の中、ちょっとした機会を共有しただけで
子どもたちは、料理することの楽しさをしり、
食べ物の一つひとつに興味をもち、
その後の「食卓の楽しさ」を存分に味わえたのです。
帰りに同じバスに乗ったある女の子が、
こんなことを言いました。
「お皿を洗うの、いつもお母さんにやらせちゃってたんだけど、今日はお兄ちゃんと一緒に洗おうかな。」
そして、今日みんなで食べた食事がおいしかったことを話していると、
「トマトを上手に切る方法、お母さんも知ってるかな?クイズで出してみよう!」
「テレビ見ながら食べるより、しゃべってた方が、なんか楽しい感じがしていい。」
栄養についての知識も大切。
食生活指導をしていくことも大切。
それでも、今の生活の中でもっと簡単に、
食事の機会を使って話せること、教えられること、
楽しくて温かい食卓を体験させたりすることが
できるんじゃないだろうか。
そんなことを感じた一日でした。
子ども時代の体験は、一生の財産。
忙しいけれど、がんばりましょう!大人たち。
★ちなみに★
〜トマトを上手に切るコツ〜
ヘタの部分を下にして、上からトマトを見ると、
星のように白い線が伸びているのがわかります。
その線上に包丁を入れて切ると、
トマトのゼリー状になった部分(汁と種の入った部分)がくずれず、
きれいに切ることができますよ♪
食育情報参照;http://www8.cao.go.jp/syokuiku/index.html
地域ボランティアの方が中心となって、
小学生のキャンプがもよおされました。
バーベキュー、飯盒炊爨。
はじめに大人たちが、包丁や魚の扱いなど簡単にお手本を見せました。
そのあと、子どもたちはなれない手つきで野菜を切ったり、
お米を研いだり、また、魚をさばいたりして、
めいめいが担当する作業を進めていきます。
その間をぬって大人たちは、今日の食材に関する豆知識を話したり、
手順がわからず困っている子どもたちのサポートをします。
・横に並んで説明をしながら、子どもたちが手を動かすことに対し、
最低限のフォローだけをする。
・見栄えよりもまず、自分の作業を自分でやりきることを重視する。
・コツをつかんだ子には、すかさず「うまいねえ。その調子。」と
声をかける。
そんな様子を見ていたら、子どものころの光景が思い浮かんできました。
かつて、手伝いがてら台所で母親の料理を横で見ているように言われたこと、
その見よう見まねが、後々大きな「料理本」になっていたと気づいたこと、
食卓や台所での何気ない会話から得た「豆知識」が、今に生きていること。
「食育」の大切さが、あちこちで取り上げられるようになり、
食育基本法という法も制定されたということは、
食をとりまく現在の状況(問題)が、
もはや家庭での努力で解決できることではない、
そのレベルにとどまらない、ということなのかもしれません。
「朝食をとらないで学校に行く」
「栄養バランスが悪い」
「孤食(食事環境の問題)」…
私が子どものころ、「食育」という言葉になじみはありませんでしたが、
「食生活の変化」については、いろいろな機会で話題になったことを記憶しています。
おそらく、上に挙げたような問題も、20年以上前から警鐘がならされていたことでした。
でも、こうして自然の中、ちょっとした機会を共有しただけで
子どもたちは、料理することの楽しさをしり、
食べ物の一つひとつに興味をもち、
その後の「食卓の楽しさ」を存分に味わえたのです。
帰りに同じバスに乗ったある女の子が、
こんなことを言いました。
「お皿を洗うの、いつもお母さんにやらせちゃってたんだけど、今日はお兄ちゃんと一緒に洗おうかな。」
そして、今日みんなで食べた食事がおいしかったことを話していると、
「トマトを上手に切る方法、お母さんも知ってるかな?クイズで出してみよう!」
「テレビ見ながら食べるより、しゃべってた方が、なんか楽しい感じがしていい。」
栄養についての知識も大切。
食生活指導をしていくことも大切。
それでも、今の生活の中でもっと簡単に、
食事の機会を使って話せること、教えられること、
楽しくて温かい食卓を体験させたりすることが
できるんじゃないだろうか。
そんなことを感じた一日でした。
子ども時代の体験は、一生の財産。
忙しいけれど、がんばりましょう!大人たち。
★ちなみに★
〜トマトを上手に切るコツ〜
ヘタの部分を下にして、上からトマトを見ると、
星のように白い線が伸びているのがわかります。
その線上に包丁を入れて切ると、
トマトのゼリー状になった部分(汁と種の入った部分)がくずれず、
きれいに切ることができますよ♪
食育情報参照;http://www8.cao.go.jp/syokuiku/index.html
2007.07.20 Fri
語彙力、ということではなく、
「子どもの感性と言葉の力」には
想像以上に大きなものがあると感じます。
先日、ある男の子が、
こんなことを言っていました。
『お母さん、お母さん、お家がひゅーんって走ってるよ。ほら、ひゅんひゅーーんって。』
どんなシチュエーションか、お分かりですね?
そうです。男の子は電車に乗って、窓の外を興味深く見ていました。
電車の速度があがり、窓の外の景色が飛ぶように変わっていく様を
その男の子は、さきほどのように表現したわけです。
言葉を覚えることは、とてもだいじなことです。
感情を言葉で表したり、ものごとの状況を正確に伝えたり、
子どもは、生活環境や成長そのものにあわせて、
そのときどきに必要な言葉を知り、表現し続けることを求められます。
そのとき、知識としての言葉(語彙)があればあるほど、
ぴったりの表現に近づくことでしょう。正しい言葉を使える近道です。
でも、もう一つ忘れてならないのは、
その「知識」を「使う」ためには、まず「何かを言葉におきかえる」、その何かを見つけたり、感じたりすることの大切さだと思うのです。
感じたり、考えたりするから、言葉が必要になるわけですし、
何かを伝えたい、表現したいと思う気持ちが、言葉を使わせるわけです。
そして、「言葉を使いこなす」ためには、
いろいろなことを考えたり、感じたそのときに
「実際に声に出して(言葉におきかえて)いく」ことが、
「言葉力」を豊かにするこつかもしれないなあ、
と、私は思います。
感じる力、それを言葉にする機会、
その言葉を聴いてあげること。
大人にできることは、たくさんありそうです。
「子どもの感性と言葉の力」には
想像以上に大きなものがあると感じます。
先日、ある男の子が、
こんなことを言っていました。
『お母さん、お母さん、お家がひゅーんって走ってるよ。ほら、ひゅんひゅーーんって。』
どんなシチュエーションか、お分かりですね?
そうです。男の子は電車に乗って、窓の外を興味深く見ていました。
電車の速度があがり、窓の外の景色が飛ぶように変わっていく様を
その男の子は、さきほどのように表現したわけです。
言葉を覚えることは、とてもだいじなことです。
感情を言葉で表したり、ものごとの状況を正確に伝えたり、
子どもは、生活環境や成長そのものにあわせて、
そのときどきに必要な言葉を知り、表現し続けることを求められます。
そのとき、知識としての言葉(語彙)があればあるほど、
ぴったりの表現に近づくことでしょう。正しい言葉を使える近道です。
でも、もう一つ忘れてならないのは、
その「知識」を「使う」ためには、まず「何かを言葉におきかえる」、その何かを見つけたり、感じたりすることの大切さだと思うのです。
感じたり、考えたりするから、言葉が必要になるわけですし、
何かを伝えたい、表現したいと思う気持ちが、言葉を使わせるわけです。
そして、「言葉を使いこなす」ためには、
いろいろなことを考えたり、感じたそのときに
「実際に声に出して(言葉におきかえて)いく」ことが、
「言葉力」を豊かにするこつかもしれないなあ、
と、私は思います。
感じる力、それを言葉にする機会、
その言葉を聴いてあげること。
大人にできることは、たくさんありそうです。
2007.05.08 Tue
昨日のあるニュースで、
『小学2年生の3割が、1年で習う「一つ(ひとつ)」という漢字の書き取りができず、高学年になるにつれ「読み」より「書き」が苦手になる』『学年別で最も書けない漢字は小6が「支持」の「支」(正答率7%)など』
とのことを知りました。
現役教師らでつくっている「日本教育技術学会」の調査で分かったとのこと。
確かに、昨今「漢字が書けない」との問題があちこちで聞かれ、
大学生の「漢字正答率」が著しく低くなっていることなど嘆きの記事を、何度となく目にしています。
きっと、世のお父さん・お母さんも、漢字の勉強をどうさせたらいいのか、本を読ませようか、書き取りの宿題がいいのかと考えていることでしょう。
ふと、ある子どもたちとのやりとりを思い出しました。
当時、小学5年生のやんちゃボーイズ&ガールズ。
なかなか漢字が覚えられないとの話に、
こんな提案を。
『じゃあさ、ここにある漢和辞典を使って、なんか面白い遊びを考えてみない?』
次の週。
さすが、子どもたち!
面白アイディアが続出しました。
そんな中のひとつをご紹介しましょう。
少女漫画好き、自分でも漫画を描いている
そんなEちゃんが考えた
『漢和辞典で探して、いろんな名前を作ってみる!』
小学生も中学年・高学年になると、
マンガを読んだりアニメやドラマの主人公に
詳しくなったりするものですが、
登場人物のキャラクターに合った名前を、自分で考えるのだそうです。
読めない漢字・習っていない漢字でも、漢和辞典を使えば、
意味に合う漢字を調べたり、逆に、音や語呂を先に考えてからうまく当てはまる漢字を調べたり、
そんな使い方ができるので楽しめるそうです。
(↑これは、音・意味のどちらからでも調べられる漢和辞典の本質につながっているからすごい!)
この方法を思いついてからというもの、
周りにある目につく漢字を、
「どんな読み方なのかな。」
「これ、好きな雰囲気の漢字だな。」
など、興味をもって見るようになったそうです。
『同じ音でも「き」とか「し」とか、すごいたくさんあるんだけど、使いたかった「ら」があんまりなかったんだよね。』
『家族の名前を考えたんだけど、お父さんが「樹(いつき)」だから、男の子は「木」に関係する一文字の名前で統一したら家族っぽくなったよ。』
そんな話をしていたEちゃん。
裏技を編み出してからというもの、
宿題に出る漢字にも、どんどん興味をもてるようになり、
きづけば『漢字王』と呼ばれるようになっていたという逸話の持ち主です。
子どもの世界には、大人の発想にはない
オモシロ勉強法(遊び)があるものです。
そしてそれは、”遊び心”という、
とっても大切な才能によって生まれるもの。
大人としては、その遊び心を大いに認めて、
名インストラクターとしての腕を磨きながら、
勉強へのモチベーションにつなげてあげたいものです。
実際このときは、漢字をおぼえるときに重要な、
「意味」と「音」の関係というだいじな視点を
遊びの中から自然と体感し、身につけていった子どもたち。
モチベーションが高くなっていく様子を
私もうれしく思いながら見ていました。
*********
そのほかにもいろいろ出てきた面白アイディア。
またそのうちにご紹介します。
『小学2年生の3割が、1年で習う「一つ(ひとつ)」という漢字の書き取りができず、高学年になるにつれ「読み」より「書き」が苦手になる』『学年別で最も書けない漢字は小6が「支持」の「支」(正答率7%)など』
とのことを知りました。
現役教師らでつくっている「日本教育技術学会」の調査で分かったとのこと。
確かに、昨今「漢字が書けない」との問題があちこちで聞かれ、
大学生の「漢字正答率」が著しく低くなっていることなど嘆きの記事を、何度となく目にしています。
きっと、世のお父さん・お母さんも、漢字の勉強をどうさせたらいいのか、本を読ませようか、書き取りの宿題がいいのかと考えていることでしょう。
ふと、ある子どもたちとのやりとりを思い出しました。
当時、小学5年生のやんちゃボーイズ&ガールズ。
なかなか漢字が覚えられないとの話に、
こんな提案を。
『じゃあさ、ここにある漢和辞典を使って、なんか面白い遊びを考えてみない?』
次の週。
さすが、子どもたち!
面白アイディアが続出しました。
そんな中のひとつをご紹介しましょう。
少女漫画好き、自分でも漫画を描いている
そんなEちゃんが考えた
『漢和辞典で探して、いろんな名前を作ってみる!』
小学生も中学年・高学年になると、
マンガを読んだりアニメやドラマの主人公に
詳しくなったりするものですが、
登場人物のキャラクターに合った名前を、自分で考えるのだそうです。
読めない漢字・習っていない漢字でも、漢和辞典を使えば、
意味に合う漢字を調べたり、逆に、音や語呂を先に考えてからうまく当てはまる漢字を調べたり、
そんな使い方ができるので楽しめるそうです。
(↑これは、音・意味のどちらからでも調べられる漢和辞典の本質につながっているからすごい!)
この方法を思いついてからというもの、
周りにある目につく漢字を、
「どんな読み方なのかな。」
「これ、好きな雰囲気の漢字だな。」
など、興味をもって見るようになったそうです。
『同じ音でも「き」とか「し」とか、すごいたくさんあるんだけど、使いたかった「ら」があんまりなかったんだよね。』
『家族の名前を考えたんだけど、お父さんが「樹(いつき)」だから、男の子は「木」に関係する一文字の名前で統一したら家族っぽくなったよ。』
そんな話をしていたEちゃん。
裏技を編み出してからというもの、
宿題に出る漢字にも、どんどん興味をもてるようになり、
きづけば『漢字王』と呼ばれるようになっていたという逸話の持ち主です。
子どもの世界には、大人の発想にはない
オモシロ勉強法(遊び)があるものです。
そしてそれは、”遊び心”という、
とっても大切な才能によって生まれるもの。
大人としては、その遊び心を大いに認めて、
名インストラクターとしての腕を磨きながら、
勉強へのモチベーションにつなげてあげたいものです。
実際このときは、漢字をおぼえるときに重要な、
「意味」と「音」の関係というだいじな視点を
遊びの中から自然と体感し、身につけていった子どもたち。
モチベーションが高くなっていく様子を
私もうれしく思いながら見ていました。
*********
そのほかにもいろいろ出てきた面白アイディア。
またそのうちにご紹介します。
2007.04.04 Wed
ある男の子(★)とお母さん(☆)の会話。
★『ねえねえ、お母さん。みどりはカエル?』
☆『そうね〜。カエルさんは緑ね〜。』
★『しろはうさぎさんだね?』
☆『そうねー。(何かをしながらのあいづち)』
★『ねえねえ、しろはうさぎさんでいいの〜?』
☆『(やさしい口調で)そうよ。うさぎさんは白いでしょ?』
★『「しろい」じゃないよー、「しろ」だよ。』
☆『「白い」も「白」もおんなじよ。』
★『じゃあ、ほかには〜?』
☆『(??)ほかってなあに?』
★『…みどりはカエルだしぃ…(ちっちゃな声で)』
☆『そうね。』
★『あとは…』
(しばし、考える男の子)
★『あ!きいろもあった!』
☆『きいろはなあに?』
★『(嬉しそうに、すかさず)きいろは”ちよこ”(おそらくひよこ)でねー、しろはウサギでしょー…』
一生懸命な男の子の様子がほほえましく、
しばらくやりとりに見入ってしまいましたが、
このやりとりで、面白いことに気づきました。
最初に、「あれ!?」と思ったのは、
男の子とお母さんの微妙なニュアンスの違い。
男の子は、
「○○(色)は△△(生き物)だよね」という言い方をしていて。
なんだか、覚えた色を一生懸命伝えようとしている、
そんな感じがしました。
「この色は、△△だね」って、知ってる動物にあてはめて
一生懸命、そのことを披露しているような。
一方、お母さんは、
「そうね。△△(生き物)は○○色ね。」
という言い方をしていて。
それは、そのとおり。
まちがっていることではないんです。
でも。少しだけ、ほんの少しだけ感じた違い。
やりとりを聞いて、男の子の様子を見ているうちに思いました。
もしかすると、男の子は、
その自分の伝えたい「ど真ん中の感じ(ニュアンス)」と
ちょっと違っているように感じたのかなあ。
そしてそれが、そのあとのやりとりにつながっていったのかな、と。
しろい、と、しろ にこだわったところ。
「○○(色)は△△(生き物)だね」と言い続けたところ。
どことなく、その伝え方にこだわりを感じ。
お母さんとの会話の中で、本能的に
「ボクのいいたいのと、まだぴったりじゃない。」
って感じたのかな、なんて。
私は、そんな風に思いました。
だからこそ、「きいろ」のくだりで、
お母さんが「きいろはなあに?」
っていう聞き方をしたとき、男の子とお母さんの会話が
同じ呼吸になった気がしたのです。
そのときの、男の子のすっきりしたような得意げな顔。
うれしそうに、すかさず「きいろはねー…」と返事をしたこと。
私にはそのことが、
子どもが本能的に感じ、こだわった
ことばや会話のニュアンスの「ぴったり感」
なのかもしれないなあ、
そんな風に思えたのでした。
また、ひょっとすると、
自分の伝えたありのまま、「そのまんま」を受けとめてもらえた。
それが嬉しかったのかもしれません。
いずれにしろ、
ことばを感じる力、伝える力というのは、
子どもにもしっかり感覚として身についている。
それが感動的でした。
PS.親子の会話の解釈。それが正しかったのかどうかは、
そのことばを使った、あの男の子本人にしか
実はわからないんですけどね。
★『ねえねえ、お母さん。みどりはカエル?』
☆『そうね〜。カエルさんは緑ね〜。』
★『しろはうさぎさんだね?』
☆『そうねー。(何かをしながらのあいづち)』
★『ねえねえ、しろはうさぎさんでいいの〜?』
☆『(やさしい口調で)そうよ。うさぎさんは白いでしょ?』
★『「しろい」じゃないよー、「しろ」だよ。』
☆『「白い」も「白」もおんなじよ。』
★『じゃあ、ほかには〜?』
☆『(??)ほかってなあに?』
★『…みどりはカエルだしぃ…(ちっちゃな声で)』
☆『そうね。』
★『あとは…』
(しばし、考える男の子)
★『あ!きいろもあった!』
☆『きいろはなあに?』
★『(嬉しそうに、すかさず)きいろは”ちよこ”(おそらくひよこ)でねー、しろはウサギでしょー…』
一生懸命な男の子の様子がほほえましく、
しばらくやりとりに見入ってしまいましたが、
このやりとりで、面白いことに気づきました。
最初に、「あれ!?」と思ったのは、
男の子とお母さんの微妙なニュアンスの違い。
男の子は、
「○○(色)は△△(生き物)だよね」という言い方をしていて。
なんだか、覚えた色を一生懸命伝えようとしている、
そんな感じがしました。
「この色は、△△だね」って、知ってる動物にあてはめて
一生懸命、そのことを披露しているような。
一方、お母さんは、
「そうね。△△(生き物)は○○色ね。」
という言い方をしていて。
それは、そのとおり。
まちがっていることではないんです。
でも。少しだけ、ほんの少しだけ感じた違い。
やりとりを聞いて、男の子の様子を見ているうちに思いました。
もしかすると、男の子は、
その自分の伝えたい「ど真ん中の感じ(ニュアンス)」と
ちょっと違っているように感じたのかなあ。
そしてそれが、そのあとのやりとりにつながっていったのかな、と。
しろい、と、しろ にこだわったところ。
「○○(色)は△△(生き物)だね」と言い続けたところ。
どことなく、その伝え方にこだわりを感じ。
お母さんとの会話の中で、本能的に
「ボクのいいたいのと、まだぴったりじゃない。」
って感じたのかな、なんて。
私は、そんな風に思いました。
だからこそ、「きいろ」のくだりで、
お母さんが「きいろはなあに?」
っていう聞き方をしたとき、男の子とお母さんの会話が
同じ呼吸になった気がしたのです。
そのときの、男の子のすっきりしたような得意げな顔。
うれしそうに、すかさず「きいろはねー…」と返事をしたこと。
私にはそのことが、
子どもが本能的に感じ、こだわった
ことばや会話のニュアンスの「ぴったり感」
なのかもしれないなあ、
そんな風に思えたのでした。
また、ひょっとすると、
自分の伝えたありのまま、「そのまんま」を受けとめてもらえた。
それが嬉しかったのかもしれません。
いずれにしろ、
ことばを感じる力、伝える力というのは、
子どもにもしっかり感覚として身についている。
それが感動的でした。
PS.親子の会話の解釈。それが正しかったのかどうかは、
そのことばを使った、あの男の子本人にしか
実はわからないんですけどね。
2007.03.28 Wed
ママ歴5年・saririの話。
sariri曰く、
「上の子はとにかくおしゃべりで。
思いついたときに脈絡もなく話し出すから
ついてくのが大変だし、落ち着きない感じなんだけどね。
でも、いろんな言葉を使いこなしたりして。
それが結構ちゃんと使えてたりするもんだから、
親が言うのもなんだけど、
『この子、結構賢いんじゃないの?』って思ったりして。」
「でもね、下の子は下の子で一つのおもちゃで
いろいろ遊びを考えるのがうまいのよー。
黙〜っておもちゃをあれこれさわったりして、
傾けたり組み合わせたりしてね。
集中力がすごいの。
そんなに活発じゃないから目立たないところあるんだけど、
私、ああやって集中してできるってすごいことだと思うのよね。」
姉妹で性格が違うのはよく聞くところですが、
saririのその捉え方を聞いて、
(ああ、いいなあ。)と、感じました。
二人の違いは違いとしてそれぞれを認めてるし(そして適度に客観的)
なにより、
「特徴=いいところ」として
「●●なのっていい」「△△ってすごいこと」
の発想が、
プラスな言葉でいいなあ、と感じたのです。
saririママは折にふれ子どもたちに、
自分の気づいたことを話しているそうです。
子どもたちは、一番身近なママから
自分のそんな特徴を認められて、
誇らしく感じたり、満足感を感じたりしながら
これからも、そんな特徴を伸ばしていくんじゃないのかなあ。
そんな風に思いました。
saririは別れ際に言いました。
「ごめんね〜。ほんと親バカで。」
親バカ、いいじゃないですか。
バカになれるほど、
大好きで大切で夢中になれるものが
自分の人生にあるということ。
そして、子どもにとっては
自分のありのままを
「いいね!」
と、温かく見てくれる人がいるということ。
私、すばらしいって思います。
sariri曰く、
「上の子はとにかくおしゃべりで。
思いついたときに脈絡もなく話し出すから
ついてくのが大変だし、落ち着きない感じなんだけどね。
でも、いろんな言葉を使いこなしたりして。
それが結構ちゃんと使えてたりするもんだから、
親が言うのもなんだけど、
『この子、結構賢いんじゃないの?』って思ったりして。」
「でもね、下の子は下の子で一つのおもちゃで
いろいろ遊びを考えるのがうまいのよー。
黙〜っておもちゃをあれこれさわったりして、
傾けたり組み合わせたりしてね。
集中力がすごいの。
そんなに活発じゃないから目立たないところあるんだけど、
私、ああやって集中してできるってすごいことだと思うのよね。」
姉妹で性格が違うのはよく聞くところですが、
saririのその捉え方を聞いて、
(ああ、いいなあ。)と、感じました。
二人の違いは違いとしてそれぞれを認めてるし(そして適度に客観的)
なにより、
「特徴=いいところ」として
「●●なのっていい」「△△ってすごいこと」
の発想が、
プラスな言葉でいいなあ、と感じたのです。
saririママは折にふれ子どもたちに、
自分の気づいたことを話しているそうです。
子どもたちは、一番身近なママから
自分のそんな特徴を認められて、
誇らしく感じたり、満足感を感じたりしながら
これからも、そんな特徴を伸ばしていくんじゃないのかなあ。
そんな風に思いました。
saririは別れ際に言いました。
「ごめんね〜。ほんと親バカで。」
親バカ、いいじゃないですか。
バカになれるほど、
大好きで大切で夢中になれるものが
自分の人生にあるということ。
そして、子どもにとっては
自分のありのままを
「いいね!」
と、温かく見てくれる人がいるということ。
私、すばらしいって思います。



