大人と子どもの関係 〜友だち親子の是非論って?〜
友だち親子」という言葉を最近よく耳にします。
そして、その話題に伴って、“是非論”に発展することもしばしばです。

肯定的な意見としてよく言われるのは、なんといっても『親子の仲がいいことは何より。』ということ。
何でも話せる、気兼ねがないなど、オープンな関係ができているためでしょう。
友だち親子と言われる人たちからは、明るい雰囲気が伝わってきます。
子どもに笑顔が多く、のびのびしている様子が印象的です。

一方、否定的な意見として多いのは、『親は、親・大人として教えるべきことをしっかり教えていくべきだ。大人の義務を果たそう(子どもが大人を敬い、しっかり学ぶ姿勢を身につけさせよう)』といったこと。
友だち=対等な関係であり、まだ未成熟な子どもに合わせることは、ときに迎合となり、
子どもに正しいことを教えていく立場としては、いい関係とはいえないのではないか・・・
ということですね。

この関係について、どちらも一理あるなあ、と感じる私ですが、
忘れてならないのは、是非論を問うとき、またこうした親子関係を考えるとき、
その根本はすべて、「大人が作り出した環境の中で、子どもが育っている」ということです。

子どもが初めから意思をもって、「友だち親子」になるわけではありません。
大人が自分にどう接し、どんな言葉を投げかけ、どんな環境を与え、どんな価値観を
伝えているか。
子どもはそうした、周りの大人や環境から、いろいろなことを学び、感じ、
やがて自分の価値観を持ち始めます。
その中の一つに「大人をどう見るか。敬うか。」といったものが含まれているわけです。

私自身のことを考えると、友だち親子、という言葉のもつ「明るさ」「オープンさ」は
とても好きですし、そういう関係をいいな、と思っています。
一方、大人である以上、子どもが子どもの今見えている視野にあわせた中でだけ
つきあっていくことは違う、とも思っています。

たとえそのときはうるさがられたとしても、すべてを理解してもらうことができなかったとしても、
人として大切な価値観、自分中心の理屈だけではない「社会を意識させるような考え方」、
知識、過去や歴史についても、折にふれ話していくことは大事です。
そのときには、子どものことを人として尊重しながらも、
確実に、「教える」「教わる」の関係がうまれることでしょう。

教える、教わるの関係は、スポーツでも勉強でも日常においても、“対等”という言葉とは
違うような気がします。
そしてそういう瞬間は、とても大事なものだと思うのです。

同じ立場でない存在として相手の前に立つのは、とても責任の重いことです。
同じ目線や立場でものを言う方が、よっぽど楽でしょう。
果たして、その立場にふさわしい人間なのか。
言うことはまともでも、自分はそのとおりできているのか。
そもそも、うるさい存在として疎まれ、話をすること自体を受け入れてもらえるか。
ハードルはどんどん高くなります。

それでも根本に「相手を思う」「信頼感」があれば、いわゆる“友だち親子”とそうでない関係の
いいところが組み合わさった、大人と子どもの関係ができあがるんじゃないか。
そんな風に考えています。

大人は、子どもと大人の両方を経験しています。
ですから、表面上の「干渉しない」「尊重する」という響きでごまかす「楽な大人」になってはいけないと思うのです。
そして同時に、「大人に都合のいい子ども像をおしつけて“今の子どもは・・・”と語る大人」には
決してなりたくない、と思います。
子どもは、まず初めの「手本」として大人のすることを見、大人が与えた下地(レディネス・環境)で
育ってきているんです。

大人である自分に責任をもち、同時に、自分が子どもだったときの気持ちや素直に感じていた感情が、今目の前の子どもにもあることを忘れない。

大変ですが、それをしていくことが必要だな、と思います。

最近会った友だち親子のコメントから、娘さんの言葉を紹介します。

『うちのママは、失敗ばっかりしてほっとけない感じ。できないのに、私の趣味とかすぐ真似するし、正直“大丈夫?”とか思うんだけど、私の話を一番真剣に聞いてくれるところとか、あと、親として言うべきことをびしっと言ってくれるとこは、そのときはケンカになるけどすごい信頼してる。いつも味方される方がうそっぽいし。マジで親なんだなって思う。』

子どもは、大人の接し方から本質的なところを見抜いているんですね。
そう感じた一言でした。

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感動しました。昨日、あるお父さんと子育て論を話をしていたところでした。今の親を見ていると「子ども」というより、「ペット」感覚で子どもを扱っていると感じます。だから、他人から自分の子どもを注意されたりすると怒ったり、自分の子どもが一番になってしまうと思います。
親という漢字は「木の上に立って見る」と書きます。子どもの将来を思って、厳しく接することも大切ですね。
ちなみに10才ぐらいまでは、悪いことは理屈抜きでしからないと善悪の分別がつきにくい人間になるそうです。さらにちなみに私は小学生には厳しかったです。
【2008/04/30 13:37】URL | masavec #-[ 編集]
鋭い洞察ですね。
子は親の鏡、親は子の鏡。
鏡の法則ですね。
私は、
大人フィルターと子どもフィルターでは
見えるポイントが違うこと
教える=教わる、教えていながら同時にその相手から教えてもらっていること
に、特に気をつけて子どもと接するようにしています。
【2008/04/30 16:35】URL | NLPapa安徳 #-[ 編集]
ありがとうございます。
> masavecさん

コメントありがとうございます。こちらこそ、いつも勉強させていただいています。
親という漢字の成り立ちから親の本質が見えますね。
「10才ぐらいまでは、悪いことは理屈抜きでしからないと善悪の分別がつきにくい人間になる」というご指摘は、実体験としてもなるほど、と思いました。
そういう背景があって、masavecさんは小学生に厳しく接しておられたということなんですね。
大人が、何かの「芯」をもって指導にあたると、子どもたちはその意味をだんだん汲み取っていくような気がします。
ですから、masavecさんの芯(信念)も、きっと子どもたちに伝わったのだろうと思います。
【2008/05/01 12:39】URL | kerori #-[ 編集]
ありがとうございます。
NLPapa安徳さん

コメントありがとうございます。
NLPapa安徳さんにお褒めいただき、ありがたく感じておりますが、同時に少々気恥ずかしい思いがしていますi-229>。
洞察…というほどのものではなく、むしろ思いの部分が強すぎて
読み苦しい点があったのでは?と。
書き方にも、私の癖が出てしまっているようです。

さて、“子は親の鏡、親は子の鏡。鏡の法則”
まさに、そのとおりだと感じました。
NLPapa安徳さんが気をつけていらっしゃるという
「教えていながら教わっている」という姿勢は、
私も気をつけたいところです。
そして、実際に今までも、そうして教えてもらったり気づかせてもらえた大切なことがあったな、とあらためて思いました。


【2008/05/01 12:50】URL | kerori #-[ 編集]















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Author:kerori
人と話すことが大好き。10年にわたり、子どもたちに英語を教えた経験をもっています。

ふと気づいたら、周りには”働くママ””新米ママがたくさん!
そんな、”きらっと光る”がんばるママたちの応援ができればいいな。ママたちが、一人でも多く元気になると嬉しいな。
そんなことを考えるこのごろです。

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