2008.05.31 Sat
いじめにまつわる悲しい事件・情報を耳にするたび、胸がしめつけられるような痛みを覚えます。
親御さんにとっては、わが子への思いの強さを考えると、その比ではない苦しみ・痛みであろうと思います。
もちろん、当事者である子どもの苦悩はどれほどのものでしょう。
あのときどうして、気づいてあげられなかったのだろう。
もっと話をしていれば。
自分を責める気持ち、後悔の念と同時に、親や大人たちは
こうも思います。
「どうしてもっと早く打ち明けてくれなかったのか。」
「一人で苦しませず、助けてあげることができたのではないか。」
あるとき、そんな話を友人としていると、その友人からこんな話を聞きました。
その友人の子どもは、ある時期にいじめを受けていたのだそうです。
いつも明るく、正義感も強く、人に優しく。
まわりを楽しませたり喜ばせることが好きなお子さんです。
それが、ある時期を境に、その明るさが「空元気」のように見え、
みんなでいるときは笑顔でも、部屋に入るとため息をついたり、
ぼーっと何か考え事をしているような様子が見られるようになったそうです。
その様子が気になった友人は、何度となく
「調子が悪いの?」「元気がないようだけど、何かあった?」
と、声をかけました。
でも、その度に子どもは「なんでもない」「体育でちょっと疲れただけ。」と、何事もなかったかのように、笑顔で答えたそうです。
それから何日かして、友人は、別のお子さんのお母様から、
どうやら友人の子どもがいじめにあっているらしいとの話を聞かされました。
家に帰ってから子どもにそのことを尋ねると、目に涙を浮かべて、
それでも、
「いじめられてるんじゃない。けんかをしただけだ。もう仲直りしたから大丈夫。」
と、かたくなにいじめについて認めようとはしなかったといいます。
友人はなおも問い詰めました。
「悩んでるならお母さんに話して。どうして言ってくれないの?最近様子も変だし、誰かにおどかされたりしてるんじゃないの?」
子どもは首を横にふります。
釈然としないながらも、友人は、話をやめました。
次の日、学校に送り出した友人は、一度も自分の目を見ようとしない子どもに
不安な気持ちでいっぱいになりながら、自分もどうしていいかわからないまま、
家の中を掃除し始めたそうです。
すると、子どもの部屋に、自分宛の手紙がありました。
そこには、
・自分がいじめにあっていること
・その原因が、自分の軽はずみなからかいで傷つけてしまった友だちからのしかえしであること
・自分に負い目があるから、いじめをやめてほしいと言えないこと
・いじめのことを話すと、(最初に友人をからかった)自分の話をしなくてはいけないので言いたくなかったこと
・そのことで、親にがっかりされたり叱られたくないと思っていること
・でも、昨日の夜、お母さんが真剣に自分を心配してくれて嬉しかったこと
・今日、勇気をもって友だちに謝って許してもらおうと思っていること
そういった内容が書かれていたそうです。
その文面の端々から、「親の期待する自分にそむきたくない(そむいたことを認めたくない)」
という気持ちや、「そんな自分に自信を失いかけている様子」が強く感じられ、
友人は、いじめそのものの事実と同じくらい、自分たち親への必死の思いで追いつめられていたのか
と驚きました。
そして、(だから、親に目の前で失望されたり叱られたりしたら、自分を支えられないと思ったんだ。)
と、子どもの思いに気づいたそうです。
放課後、いつもより少し遅く家に帰ってきた子どもは、今までに見たこともないくらい緊張した顔つきで、足早に部屋へ向かおうとしたそうです。
友人は、言いました。
母「○○(子どもの名前)、お帰り!手紙読んだよ。」
子「・・・」
母「話してくれて、ありがとね。」「お母さん、すっごく嬉しかった。○○の気持ちがわかって、本当によかったよ。ありがとね。」
すると、子どもは目にぶわーっと涙を浮かべてしゃくりあげながら、
「ごめんなさい!!」
と謝り、堰をきったように、今までのできごと、自分の思い、今日のこと・・・
泣きながら友人にすべて話したそうです。
その後、このいじめ問題が解決するまでには1ヶ月近くかかったそうですが、
子どもの表情は、見違えるほど変わってホッとした、と、友人は話してくれました。
親が、自分の弱さもひっくるめて認めてくれた・味方でいてくれる安心感は、
どれだけ勇気を与えたことかと思います。
子どもが、親に何かを打ち明けるというのは、大人が思っている何倍・何十倍の勇気がいることでしょう。
自分の子ども時代を思い返しても、思い当たることがいくつもあります。
子どもがその壁を打ちやぶって、親に何かを打ち明けようとするには、
親の姿勢に、どんなことでも「言ってくれてよかった」というものを感じられることが
大切なのかもしれません。
大人として子どもの話を聞くとき、ついつい、話の内容を「ジャッジする」姿勢で、
時には、アドバイスしてやろうという前提で聞いてしまうことがありますが、
まず、話し手が「勇気をもって言ってよかった」と思えるように、
「話してくれてありがとう。」「聞いてよかった。」の姿勢から入りたい。
自分の感情として聞くのではなく、相手の思いに寄り添って話を聞こう。
そして、子どもが追いつめられてしまう前に、「勇気をもって話してみようと思える大人」で
ありたいと思うこのごろです。
(よかったらお願いします)


親御さんにとっては、わが子への思いの強さを考えると、その比ではない苦しみ・痛みであろうと思います。
もちろん、当事者である子どもの苦悩はどれほどのものでしょう。
あのときどうして、気づいてあげられなかったのだろう。
もっと話をしていれば。
自分を責める気持ち、後悔の念と同時に、親や大人たちは
こうも思います。
「どうしてもっと早く打ち明けてくれなかったのか。」
「一人で苦しませず、助けてあげることができたのではないか。」
あるとき、そんな話を友人としていると、その友人からこんな話を聞きました。
その友人の子どもは、ある時期にいじめを受けていたのだそうです。
いつも明るく、正義感も強く、人に優しく。
まわりを楽しませたり喜ばせることが好きなお子さんです。
それが、ある時期を境に、その明るさが「空元気」のように見え、
みんなでいるときは笑顔でも、部屋に入るとため息をついたり、
ぼーっと何か考え事をしているような様子が見られるようになったそうです。
その様子が気になった友人は、何度となく
「調子が悪いの?」「元気がないようだけど、何かあった?」
と、声をかけました。
でも、その度に子どもは「なんでもない」「体育でちょっと疲れただけ。」と、何事もなかったかのように、笑顔で答えたそうです。
それから何日かして、友人は、別のお子さんのお母様から、
どうやら友人の子どもがいじめにあっているらしいとの話を聞かされました。
家に帰ってから子どもにそのことを尋ねると、目に涙を浮かべて、
それでも、
「いじめられてるんじゃない。けんかをしただけだ。もう仲直りしたから大丈夫。」
と、かたくなにいじめについて認めようとはしなかったといいます。
友人はなおも問い詰めました。
「悩んでるならお母さんに話して。どうして言ってくれないの?最近様子も変だし、誰かにおどかされたりしてるんじゃないの?」
子どもは首を横にふります。
釈然としないながらも、友人は、話をやめました。
次の日、学校に送り出した友人は、一度も自分の目を見ようとしない子どもに
不安な気持ちでいっぱいになりながら、自分もどうしていいかわからないまま、
家の中を掃除し始めたそうです。
すると、子どもの部屋に、自分宛の手紙がありました。
そこには、
・自分がいじめにあっていること
・その原因が、自分の軽はずみなからかいで傷つけてしまった友だちからのしかえしであること
・自分に負い目があるから、いじめをやめてほしいと言えないこと
・いじめのことを話すと、(最初に友人をからかった)自分の話をしなくてはいけないので言いたくなかったこと
・そのことで、親にがっかりされたり叱られたくないと思っていること
・でも、昨日の夜、お母さんが真剣に自分を心配してくれて嬉しかったこと
・今日、勇気をもって友だちに謝って許してもらおうと思っていること
そういった内容が書かれていたそうです。
その文面の端々から、「親の期待する自分にそむきたくない(そむいたことを認めたくない)」
という気持ちや、「そんな自分に自信を失いかけている様子」が強く感じられ、
友人は、いじめそのものの事実と同じくらい、自分たち親への必死の思いで追いつめられていたのか
と驚きました。
そして、(だから、親に目の前で失望されたり叱られたりしたら、自分を支えられないと思ったんだ。)
と、子どもの思いに気づいたそうです。
放課後、いつもより少し遅く家に帰ってきた子どもは、今までに見たこともないくらい緊張した顔つきで、足早に部屋へ向かおうとしたそうです。
友人は、言いました。
母「○○(子どもの名前)、お帰り!手紙読んだよ。」
子「・・・」
母「話してくれて、ありがとね。」「お母さん、すっごく嬉しかった。○○の気持ちがわかって、本当によかったよ。ありがとね。」
すると、子どもは目にぶわーっと涙を浮かべてしゃくりあげながら、
「ごめんなさい!!」
と謝り、堰をきったように、今までのできごと、自分の思い、今日のこと・・・
泣きながら友人にすべて話したそうです。
その後、このいじめ問題が解決するまでには1ヶ月近くかかったそうですが、
子どもの表情は、見違えるほど変わってホッとした、と、友人は話してくれました。
親が、自分の弱さもひっくるめて認めてくれた・味方でいてくれる安心感は、
どれだけ勇気を与えたことかと思います。
子どもが、親に何かを打ち明けるというのは、大人が思っている何倍・何十倍の勇気がいることでしょう。
自分の子ども時代を思い返しても、思い当たることがいくつもあります。
子どもがその壁を打ちやぶって、親に何かを打ち明けようとするには、
親の姿勢に、どんなことでも「言ってくれてよかった」というものを感じられることが
大切なのかもしれません。
大人として子どもの話を聞くとき、ついつい、話の内容を「ジャッジする」姿勢で、
時には、アドバイスしてやろうという前提で聞いてしまうことがありますが、
まず、話し手が「勇気をもって言ってよかった」と思えるように、
「話してくれてありがとう。」「聞いてよかった。」の姿勢から入りたい。
自分の感情として聞くのではなく、相手の思いに寄り添って話を聞こう。
そして、子どもが追いつめられてしまう前に、「勇気をもって話してみようと思える大人」で
ありたいと思うこのごろです。
(よかったらお願いします)
2008.05.28 Wed
今日は、久しぶりに小学英語について。
ちょっとまじめに、思うことを書いてみます。
先日、『政府の教育再生懇談会が、小学3年生から年間35時間以上英語教育を行うモデル校を5000校程度設置することなどを盛り込んだ第1次報告を首相に提出した』との記事を目にしました。
英語教育で小学3年生からの早期必修化を目標に掲げているほか、小中高校の英語教員の採用方法の改善、学習指導要領の早急な見直しなどの提案も含まれているとのこと。
2011年から(小5・6年で)必修化となる“小学英語”。
ここにきて、にわかに話題再燃、といった様相です。
今までも、ブログでたびたび取り上げてきたこの話題ですが、
課題はいろいろあるにせよ、やはり今のうちからいろいろな場で情報が出され、
多くの議論が重ねられることは、とても大事なことだと感じます。
以前、小学4年生の子どもをもつ友人が次のようなことを言っていました。
『政治にしろ経済にしろ、最近、自分が大人のくせにずいぶん不勉強だったことに怖さを感じるんだよね。知らないっていうことは本当にこわい。何がただしくて、どうしたらいいかの判断の拠り所をもたないっていうことなんだもんね。』
知ることが必要だということは、大人自身もわかっていて、でもそれについて深く考えずとも
漠然と過ぎることができてしまった今までの生活。
そのうち、どこか外の世界に存在し、外の世界で行われているような気になってしまっていた。
小学生をとりまく(場合によっては中学生も?)英語環境も、ひょっとするとこれに近いことが
言えたのかもしれません。
今、小学英語の必修化という新しい流れの中で、少しずつ大人も、生活の中に「英語」の存在を
意識し始めているのかもしれません。
そして、今までよりも自分ごととして、やっと議論を始めようとしているのかもしれない、
そのときに、情報が動き、ものを考え、ときに課題を見つけたり危機感を覚えたりしながら、
一歩が踏み出されていくように思います。
教える立場の学校にも、「今のままでは研修が不十分だ」「人の確保を(民間の力を借りることも視野に入れて)真剣に考えよう」という動きが目立ってきています。
親の不安・願望、学校の不安・対策。
それらに応える「しくみ」「人」「教育・研修体制」「カリキュラム」「もの・ツール」・・・
まだまだ考えること、手を尽くすことはたくさんあります。
2011年を迎えるまで、大いに発言しあい、知恵を分かち合い、少しでも子どもにとってよい環境・
よい体制づくりに協力しあっていきたい。
そう考えるこのごろです。
ママ友のみなさんは、これからの小学校英語について、今どんなことをお考えですか?
(よかったらお願いします)


ちょっとまじめに、思うことを書いてみます。
先日、『政府の教育再生懇談会が、小学3年生から年間35時間以上英語教育を行うモデル校を5000校程度設置することなどを盛り込んだ第1次報告を首相に提出した』との記事を目にしました。
英語教育で小学3年生からの早期必修化を目標に掲げているほか、小中高校の英語教員の採用方法の改善、学習指導要領の早急な見直しなどの提案も含まれているとのこと。
2011年から(小5・6年で)必修化となる“小学英語”。
ここにきて、にわかに話題再燃、といった様相です。
今までも、ブログでたびたび取り上げてきたこの話題ですが、
課題はいろいろあるにせよ、やはり今のうちからいろいろな場で情報が出され、
多くの議論が重ねられることは、とても大事なことだと感じます。
以前、小学4年生の子どもをもつ友人が次のようなことを言っていました。
『政治にしろ経済にしろ、最近、自分が大人のくせにずいぶん不勉強だったことに怖さを感じるんだよね。知らないっていうことは本当にこわい。何がただしくて、どうしたらいいかの判断の拠り所をもたないっていうことなんだもんね。』
知ることが必要だということは、大人自身もわかっていて、でもそれについて深く考えずとも
漠然と過ぎることができてしまった今までの生活。
そのうち、どこか外の世界に存在し、外の世界で行われているような気になってしまっていた。
小学生をとりまく(場合によっては中学生も?)英語環境も、ひょっとするとこれに近いことが
言えたのかもしれません。
今、小学英語の必修化という新しい流れの中で、少しずつ大人も、生活の中に「英語」の存在を
意識し始めているのかもしれません。
そして、今までよりも自分ごととして、やっと議論を始めようとしているのかもしれない、
そのときに、情報が動き、ものを考え、ときに課題を見つけたり危機感を覚えたりしながら、
一歩が踏み出されていくように思います。
教える立場の学校にも、「今のままでは研修が不十分だ」「人の確保を(民間の力を借りることも視野に入れて)真剣に考えよう」という動きが目立ってきています。
親の不安・願望、学校の不安・対策。
それらに応える「しくみ」「人」「教育・研修体制」「カリキュラム」「もの・ツール」・・・
まだまだ考えること、手を尽くすことはたくさんあります。
2011年を迎えるまで、大いに発言しあい、知恵を分かち合い、少しでも子どもにとってよい環境・
よい体制づくりに協力しあっていきたい。
そう考えるこのごろです。
ママ友のみなさんは、これからの小学校英語について、今どんなことをお考えですか?
(よかったらお願いします)
2008.05.07 Wed
忙しい毎日。追われるように過ぎる日常。
あれもこれもできていない。
何から手をつけていいかわからず不安だ。
そして、どんどん溜まっていくそれは・・・
そう。ストレス。
結婚して半年ほどだったでしょうか。
今から6年前。私にもそんな時期がありました。
家事にバタバタ、仕事にバタバタ。
理想の自分と現実の自分のギャップにはさまれている気がして、
自分を苦しくしてしまっていました。
みなさんにもそんな経験、ありませんか?
そんなことを、久しぶりに思い出すできごとがありました。
ことのはじまりは、先月に感じていたイライラ。
短気な自分、思いばかりが空回りしてどんどん視野が狭くなる自分が
さらに自分の首をしめていたようでした。
(今思うと、自分の未熟さやキャパシティを知るいい薬でした)
幸いにも、早い段階で自分のそうした状態に気づけたこと、
そして、周囲の協力をいただきながら解決へと進めたおかげで
大きなストレスを育ててしまわずにすんだのですが、
そのときに、今まで気づかずにいた「ストレスの卵たち」に気づいたのです。
兆候はこうです。
・「これでいいのか?」と迷いが増える。漠然とした焦りが起こる。
・何かに追われるように、とにかく忙しい!と思う。その感覚がある。
・やってもやっても終わりが見えない。
・家で休んでいても、何か落ち着かない。気になっている。
こうした、「焦り」「不安」「しっくりこない」といった感覚的なもの。
そして、
・思いついたり、「やりたい。」と思っていて、そのとき手がつけられなかったことがある。
・手がけていることやアイデアがまとまらない
という事実。
こういったものは、そのまま野放しにしていたり、
忘れようとして気晴らしをしても、必ずといっていいほど
ストレスに発展していきます。
そして、私が以前こんな状態になったとき、あることを教えてくれた人がいました。
『ストレスの卵を放置しないこと』
これが、ストレスフリーな状態を作るうえで、実はとても大事なことなんです。
…と、口で言うのは簡単ですよね!?
では、私が実際にアドバイスを受けてやってみたその方法を紹介しますね。
あれもこれもできていない。
何から手をつけていいかわからず不安だ。
そして、どんどん溜まっていくそれは・・・
そう。ストレス。
結婚して半年ほどだったでしょうか。
今から6年前。私にもそんな時期がありました。
家事にバタバタ、仕事にバタバタ。
理想の自分と現実の自分のギャップにはさまれている気がして、
自分を苦しくしてしまっていました。
みなさんにもそんな経験、ありませんか?
そんなことを、久しぶりに思い出すできごとがありました。
ことのはじまりは、先月に感じていたイライラ。
短気な自分、思いばかりが空回りしてどんどん視野が狭くなる自分が
さらに自分の首をしめていたようでした。
(今思うと、自分の未熟さやキャパシティを知るいい薬でした)
幸いにも、早い段階で自分のそうした状態に気づけたこと、
そして、周囲の協力をいただきながら解決へと進めたおかげで
大きなストレスを育ててしまわずにすんだのですが、
そのときに、今まで気づかずにいた「ストレスの卵たち」に気づいたのです。
兆候はこうです。
・「これでいいのか?」と迷いが増える。漠然とした焦りが起こる。
・何かに追われるように、とにかく忙しい!と思う。その感覚がある。
・やってもやっても終わりが見えない。
・家で休んでいても、何か落ち着かない。気になっている。
こうした、「焦り」「不安」「しっくりこない」といった感覚的なもの。
そして、
・思いついたり、「やりたい。」と思っていて、そのとき手がつけられなかったことがある。
・手がけていることやアイデアがまとまらない
という事実。
こういったものは、そのまま野放しにしていたり、
忘れようとして気晴らしをしても、必ずといっていいほど
ストレスに発展していきます。
そして、私が以前こんな状態になったとき、あることを教えてくれた人がいました。
『ストレスの卵を放置しないこと』
これが、ストレスフリーな状態を作るうえで、実はとても大事なことなんです。
…と、口で言うのは簡単ですよね!?
では、私が実際にアドバイスを受けてやってみたその方法を紹介しますね。
| ホーム |




