2008.04.30 Wed
「友だち親子」という言葉を最近よく耳にします。
そして、その話題に伴って、“是非論”に発展することもしばしばです。
肯定的な意見としてよく言われるのは、なんといっても『親子の仲がいいことは何より。』ということ。
何でも話せる、気兼ねがないなど、オープンな関係ができているためでしょう。
友だち親子と言われる人たちからは、明るい雰囲気が伝わってきます。
子どもに笑顔が多く、のびのびしている様子が印象的です。
一方、否定的な意見として多いのは、『親は、親・大人として教えるべきことをしっかり教えていくべきだ。大人の義務を果たそう(子どもが大人を敬い、しっかり学ぶ姿勢を身につけさせよう)』といったこと。
友だち=対等な関係であり、まだ未成熟な子どもに合わせることは、ときに迎合となり、
子どもに正しいことを教えていく立場としては、いい関係とはいえないのではないか・・・
ということですね。
この関係について、どちらも一理あるなあ、と感じる私ですが、
忘れてならないのは、是非論を問うとき、またこうした親子関係を考えるとき、
その根本はすべて、「大人が作り出した環境の中で、子どもが育っている」ということです。
子どもが初めから意思をもって、「友だち親子」になるわけではありません。
大人が自分にどう接し、どんな言葉を投げかけ、どんな環境を与え、どんな価値観を
伝えているか。
子どもはそうした、周りの大人や環境から、いろいろなことを学び、感じ、
やがて自分の価値観を持ち始めます。
その中の一つに「大人をどう見るか。敬うか。」といったものが含まれているわけです。
私自身のことを考えると、友だち親子、という言葉のもつ「明るさ」「オープンさ」は
とても好きですし、そういう関係をいいな、と思っています。
一方、大人である以上、子どもが子どもの今見えている視野にあわせた中でだけ
つきあっていくことは違う、とも思っています。
たとえそのときはうるさがられたとしても、すべてを理解してもらうことができなかったとしても、
人として大切な価値観、自分中心の理屈だけではない「社会を意識させるような考え方」、
知識、過去や歴史についても、折にふれ話していくことは大事です。
そのときには、子どものことを人として尊重しながらも、
確実に、「教える」「教わる」の関係がうまれることでしょう。
教える、教わるの関係は、スポーツでも勉強でも日常においても、“対等”という言葉とは
違うような気がします。
そしてそういう瞬間は、とても大事なものだと思うのです。
同じ立場でない存在として相手の前に立つのは、とても責任の重いことです。
同じ目線や立場でものを言う方が、よっぽど楽でしょう。
果たして、その立場にふさわしい人間なのか。
言うことはまともでも、自分はそのとおりできているのか。
そもそも、うるさい存在として疎まれ、話をすること自体を受け入れてもらえるか。
ハードルはどんどん高くなります。
それでも根本に「相手を思う」「信頼感」があれば、いわゆる“友だち親子”とそうでない関係の
いいところが組み合わさった、大人と子どもの関係ができあがるんじゃないか。
そんな風に考えています。
大人は、子どもと大人の両方を経験しています。
ですから、表面上の「干渉しない」「尊重する」という響きでごまかす「楽な大人」になってはいけないと思うのです。
そして同時に、「大人に都合のいい子ども像をおしつけて“今の子どもは・・・”と語る大人」には
決してなりたくない、と思います。
子どもは、まず初めの「手本」として大人のすることを見、大人が与えた下地(レディネス・環境)で
育ってきているんです。
大人である自分に責任をもち、同時に、自分が子どもだったときの気持ちや素直に感じていた感情が、今目の前の子どもにもあることを忘れない。
大変ですが、それをしていくことが必要だな、と思います。
最近会った友だち親子のコメントから、娘さんの言葉を紹介します。
『うちのママは、失敗ばっかりしてほっとけない感じ。できないのに、私の趣味とかすぐ真似するし、正直“大丈夫?”とか思うんだけど、私の話を一番真剣に聞いてくれるところとか、あと、親として言うべきことをびしっと言ってくれるとこは、そのときはケンカになるけどすごい信頼してる。いつも味方される方がうそっぽいし。マジで親なんだなって思う。』
子どもは、大人の接し方から本質的なところを見抜いているんですね。
そう感じた一言でした。
(よかったらお願いします)


そして、その話題に伴って、“是非論”に発展することもしばしばです。
肯定的な意見としてよく言われるのは、なんといっても『親子の仲がいいことは何より。』ということ。
何でも話せる、気兼ねがないなど、オープンな関係ができているためでしょう。
友だち親子と言われる人たちからは、明るい雰囲気が伝わってきます。
子どもに笑顔が多く、のびのびしている様子が印象的です。
一方、否定的な意見として多いのは、『親は、親・大人として教えるべきことをしっかり教えていくべきだ。大人の義務を果たそう(子どもが大人を敬い、しっかり学ぶ姿勢を身につけさせよう)』といったこと。
友だち=対等な関係であり、まだ未成熟な子どもに合わせることは、ときに迎合となり、
子どもに正しいことを教えていく立場としては、いい関係とはいえないのではないか・・・
ということですね。
この関係について、どちらも一理あるなあ、と感じる私ですが、
忘れてならないのは、是非論を問うとき、またこうした親子関係を考えるとき、
その根本はすべて、「大人が作り出した環境の中で、子どもが育っている」ということです。
子どもが初めから意思をもって、「友だち親子」になるわけではありません。
大人が自分にどう接し、どんな言葉を投げかけ、どんな環境を与え、どんな価値観を
伝えているか。
子どもはそうした、周りの大人や環境から、いろいろなことを学び、感じ、
やがて自分の価値観を持ち始めます。
その中の一つに「大人をどう見るか。敬うか。」といったものが含まれているわけです。
私自身のことを考えると、友だち親子、という言葉のもつ「明るさ」「オープンさ」は
とても好きですし、そういう関係をいいな、と思っています。
一方、大人である以上、子どもが子どもの今見えている視野にあわせた中でだけ
つきあっていくことは違う、とも思っています。
たとえそのときはうるさがられたとしても、すべてを理解してもらうことができなかったとしても、
人として大切な価値観、自分中心の理屈だけではない「社会を意識させるような考え方」、
知識、過去や歴史についても、折にふれ話していくことは大事です。
そのときには、子どものことを人として尊重しながらも、
確実に、「教える」「教わる」の関係がうまれることでしょう。
教える、教わるの関係は、スポーツでも勉強でも日常においても、“対等”という言葉とは
違うような気がします。
そしてそういう瞬間は、とても大事なものだと思うのです。
同じ立場でない存在として相手の前に立つのは、とても責任の重いことです。
同じ目線や立場でものを言う方が、よっぽど楽でしょう。
果たして、その立場にふさわしい人間なのか。
言うことはまともでも、自分はそのとおりできているのか。
そもそも、うるさい存在として疎まれ、話をすること自体を受け入れてもらえるか。
ハードルはどんどん高くなります。
それでも根本に「相手を思う」「信頼感」があれば、いわゆる“友だち親子”とそうでない関係の
いいところが組み合わさった、大人と子どもの関係ができあがるんじゃないか。
そんな風に考えています。
大人は、子どもと大人の両方を経験しています。
ですから、表面上の「干渉しない」「尊重する」という響きでごまかす「楽な大人」になってはいけないと思うのです。
そして同時に、「大人に都合のいい子ども像をおしつけて“今の子どもは・・・”と語る大人」には
決してなりたくない、と思います。
子どもは、まず初めの「手本」として大人のすることを見、大人が与えた下地(レディネス・環境)で
育ってきているんです。
大人である自分に責任をもち、同時に、自分が子どもだったときの気持ちや素直に感じていた感情が、今目の前の子どもにもあることを忘れない。
大変ですが、それをしていくことが必要だな、と思います。
最近会った友だち親子のコメントから、娘さんの言葉を紹介します。
『うちのママは、失敗ばっかりしてほっとけない感じ。できないのに、私の趣味とかすぐ真似するし、正直“大丈夫?”とか思うんだけど、私の話を一番真剣に聞いてくれるところとか、あと、親として言うべきことをびしっと言ってくれるとこは、そのときはケンカになるけどすごい信頼してる。いつも味方される方がうそっぽいし。マジで親なんだなって思う。』
子どもは、大人の接し方から本質的なところを見抜いているんですね。
そう感じた一言でした。
(よかったらお願いします)
2008.04.09 Wed
20年来の友人Mから、つい先日電話をもらいました。
2人の子育てに奮闘していたMの6年間。
ときには悩み相談、ときには近況報告と、
何かあるたびに連絡を取り合っていましたが、
今回は、約半年ぶりという久しぶりの電話でした。
前回電話で話したときは、Mが前にいた職場に復帰したばかりの時期でした。
下の娘さんが幼稚園になじみ、上の娘さんも小学校にあがったことをきっかけに、
仕事復帰をしたんだけれど、
1日のスケジュールも変わり、体力的にも精神的にもかなりハードだ、
というような話をしていました。
いつも元気200%のMが、珍しく弱音をはいていて、
これからの自分にも少し自信をなくしかけていたようでした。
そのときは、とにかく話を聞いて、聞いて、聞きました。
・今までの7年間と比べ、一緒に過ごす時間が圧倒的に少なくなったこと。
・「そのときでないと」という絶妙のタイミングで声をかけたり話を聞いたりすることが
難しくなっていること。
・娘さんがちょっとしたことで癇癪を起こすこと。赤ちゃんがえりを始めたこと。
・下の娘さんの人見知りが気がかりなこと。
・仕事と家庭の両立を、あきらめたくないこと。
・でも毎朝、『仕事をやめたほうがいいんだろうか。』と自問自答すること
・迷う気持ちがあること・・・
とにかく、いろいろなことが気がかりで。
でも、そんな中でも「元に戻る」選択肢ではなく、「今これからを切り開いていこう」という
彼女の意思が感じられたのを覚えています。
そしてそのあと彼女が、やってみようかな、といったのが“親子交換日記”だったのです。
「また電話するね。」と言って電話を切ったあの日から半年。
Mの声は、とても明るく自信と充実感に満ちた様子でした。
そして、それはあの“親子交換日記”の力が大きかったようです。
■“今日のママからのメッセージ”(「おかえり!」「つくえにあったパパのえ、じょうずにかけてたね。」などなど)
から始まり、
■“おやつはどーこだ?”(おやつを指定したり、いつもと違う場所に隠して、ヒントを出しておいたりする)
■“明日の夕飯リクエストコーナー”(空欄にしておいて、子どもたちが自由に書くスペース)
■“今日のできごとベスト3”(お互いに、今日あったできごとをベスト3形式に記入)
などなど。
日記としても楽しめる趣向ながら、
どんな1日を過ごしたのか知ることができたり、
ママがいなくてもさびしく思わないでいられる工夫があったり、
一緒に何かをやっている空気を作り出すこともできたり。
働くママの「子育ての知恵」を感じる話が満載でした。
また、日記を始めてからは、
字の読めない下の娘さんにお姉ちゃんが声に出して、
ママの日記を読んであげるなんていうほほえましい光景もあったそうです。
「読みたい」「伝えたい」という気持ちからか、
自然と字を覚えたり絵を描いて表現したりする積極的なところも出てきたと言っていました。
話を聞く中には、途中ずいぶん苦労もあったんだなあと感じたけれど、
発見したり工夫したりしながら、子どもたちと一緒に家族の時間を作り上げている実感を持てたそうです。
そして、大変だけど好きで始めた仕事にも、充実感を覚えているとのこと。
「めちゃくちゃ忙しいけど、自分と家族で人生を作り上げていってるって実感がけっこうあるんだよね。」
このMの言葉には本当に感心し、あらためて尊敬しました。
「さすが!ポジティブMの復活だね!!」
と言った私に、
「まあね(笑)。まだまだがんばるよ!」
と答えたM。
我が友ながらアッパレな自画自賛っぷりですが(笑)、
私も彼女から大事なことを学んだ思いがします。
限られた時間、限られた環境や条件。
それを嘆くのではなく、まわりにある資源を活かし、知恵を使って解決していく。
このことは、人を強くし、賢くし、そしてその人の人生をもっともっと豊かにしていくんだな、と。
私の生活の中にも、まだまだ工夫の余地がありそうです。
そしてそれは、もっと豊かに生きるための“まだ開かれていない宝箱”かもしれません
(よかったらお願いします)


2人の子育てに奮闘していたMの6年間。
ときには悩み相談、ときには近況報告と、
何かあるたびに連絡を取り合っていましたが、
今回は、約半年ぶりという久しぶりの電話でした。
前回電話で話したときは、Mが前にいた職場に復帰したばかりの時期でした。
下の娘さんが幼稚園になじみ、上の娘さんも小学校にあがったことをきっかけに、
仕事復帰をしたんだけれど、
1日のスケジュールも変わり、体力的にも精神的にもかなりハードだ、
というような話をしていました。
いつも元気200%のMが、珍しく弱音をはいていて、
これからの自分にも少し自信をなくしかけていたようでした。
そのときは、とにかく話を聞いて、聞いて、聞きました。
・今までの7年間と比べ、一緒に過ごす時間が圧倒的に少なくなったこと。
・「そのときでないと」という絶妙のタイミングで声をかけたり話を聞いたりすることが
難しくなっていること。
・娘さんがちょっとしたことで癇癪を起こすこと。赤ちゃんがえりを始めたこと。
・下の娘さんの人見知りが気がかりなこと。
・仕事と家庭の両立を、あきらめたくないこと。
・でも毎朝、『仕事をやめたほうがいいんだろうか。』と自問自答すること
・迷う気持ちがあること・・・
とにかく、いろいろなことが気がかりで。
でも、そんな中でも「元に戻る」選択肢ではなく、「今これからを切り開いていこう」という
彼女の意思が感じられたのを覚えています。
そしてそのあと彼女が、やってみようかな、といったのが“親子交換日記”だったのです。
「また電話するね。」と言って電話を切ったあの日から半年。
Mの声は、とても明るく自信と充実感に満ちた様子でした。
そして、それはあの“親子交換日記”の力が大きかったようです。
■“今日のママからのメッセージ”(「おかえり!」「つくえにあったパパのえ、じょうずにかけてたね。」などなど)
から始まり、
■“おやつはどーこだ?”(おやつを指定したり、いつもと違う場所に隠して、ヒントを出しておいたりする)
■“明日の夕飯リクエストコーナー”(空欄にしておいて、子どもたちが自由に書くスペース)
■“今日のできごとベスト3”(お互いに、今日あったできごとをベスト3形式に記入)
などなど。
日記としても楽しめる趣向ながら、
どんな1日を過ごしたのか知ることができたり、
ママがいなくてもさびしく思わないでいられる工夫があったり、
一緒に何かをやっている空気を作り出すこともできたり。
働くママの「子育ての知恵」を感じる話が満載でした。
また、日記を始めてからは、
字の読めない下の娘さんにお姉ちゃんが声に出して、
ママの日記を読んであげるなんていうほほえましい光景もあったそうです。
「読みたい」「伝えたい」という気持ちからか、
自然と字を覚えたり絵を描いて表現したりする積極的なところも出てきたと言っていました。
話を聞く中には、途中ずいぶん苦労もあったんだなあと感じたけれど、
発見したり工夫したりしながら、子どもたちと一緒に家族の時間を作り上げている実感を持てたそうです。
そして、大変だけど好きで始めた仕事にも、充実感を覚えているとのこと。
「めちゃくちゃ忙しいけど、自分と家族で人生を作り上げていってるって実感がけっこうあるんだよね。」
このMの言葉には本当に感心し、あらためて尊敬しました。
「さすが!ポジティブMの復活だね!!」
と言った私に、
「まあね(笑)。まだまだがんばるよ!」
と答えたM。
我が友ながらアッパレな自画自賛っぷりですが(笑)、
私も彼女から大事なことを学んだ思いがします。
限られた時間、限られた環境や条件。
それを嘆くのではなく、まわりにある資源を活かし、知恵を使って解決していく。
このことは、人を強くし、賢くし、そしてその人の人生をもっともっと豊かにしていくんだな、と。
私の生活の中にも、まだまだ工夫の余地がありそうです。
そしてそれは、もっと豊かに生きるための“まだ開かれていない宝箱”かもしれません
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