2007.04.24 Tue
中学時代の友人と話していたときのこと。
娘さんが習っている英語塾の先生の発音が
とてもきれいだそうで、
娘さんはその先生に憧れ、
「将来は通訳か英語の先生になりたい。」と言っているのだとか。
友人いわく、
「学校の算数ドリルは嫌々やっているのに、英語の宿題は、帰ってきたらすぐにとりかかる」
と。
そして、
「でもさ、Sチャン先生の英語はすごかったね〜・・・」
と、思い出し笑いをする友人に、
私もつられて笑いながら、ある光景を思い出しました。
私も初めて英語を習ったとき、
英語の「発音」をかっこいいなあ、と思い、
あんな風に話せたらいいなあ、と、
わくわくドキドキした気持ちになっていた気がします。
英語と、それをとりまく雰囲気、というんでしょうか。
漠然とだけれど、
「なんか、かっこいい。」
と、あこがれた気持ち。
ところが、中学1年で、英語を担当してくれたS先生(通称Sチャン)は、
それはそれは、独特の・・・
なんというか、訛りのひどい英語の先生だったのです。
かばうわけではないですが、Sチャン先生は、ユーモアもあって、面倒見もよく、生徒から人気の高い先生でした。かくいう私もSチャン先生を慕っていたし、「いい先生だなあ。」と感じていました。
しかし!しかしであ〜る!!
英語の発音は、申し訳ないが聞けたものではなかった…
「でぃす いず あ〜ん あっぽー。ほい!」
「This is an apple.」
「じゃあ、疑問文はなんていうんだ?ほい。いず でぃす あ〜ん あっぽー? だな?」
なぜか、「an」を「a〜n」と伸ばす独特のリズムや、文字どおり、平らでのっぺりした発音で「あっぽー(apple)」と発音していく英語の授業に、子どもながら、「何だかちがう…」とがっかりした気持ちになったことは否めません。
中学1年生。まだまだ素直な気持ちで、わくわくどきどきした初めての英語の授業で感じてしまった「がっかり」の気持ち。
実はこれ、ずいぶん尾をひきました。
時々、先生がカセットで英語の音声を聞かせてくれると(カセット。…時代を感じますね…)その流暢な英語の発音がたまらなく嬉しくて、耳をすませ、まねしたのを覚えています。
大人になり、英語を使ってコミュニケーションするのに大事なことは、正しい発音だけでなく、伝えようとする気持ちだったり背景を知ることであったりと、新しく知ったこともあります。
それでもやっぱり、「外国語」を使いたいと思うきっかけ、学ぼう・身につけようとするモチベーションには、「あこがれ」ってだいじだなあ、と思うのです。
そんなとき、例えば「英語」を教えてくれる先生が、「かっこよくすらすらと英語を話せたり」「英語を使うシチュエーションや雰囲気をだいじにしてくれたり」、そんなことができたら、やっぱり子どもとしては嬉しいよなあ、って思います。
そしてこれは、私の考えですが、
ネイティブではない先生が英語を使ってくれることに
かなり重要な意味があるのだと思います。
「私もこんな風になれるかも。」という気持ち。
そんな先生からの、「上手だね。」の一言。
通訳か英語の先生になりたい、というNちゃん(友人の娘)は、
「先生が、『Nちゃんって発音が上手ね。』って誉めてくれたから」
すっごくやる気になったそうです。
Nちゃんは言いました。
「先生も、中学2年生まで英語できなかったんだって。でも、中3のときの先生が、『高橋さんは、発音がきれいね。』って言ってくれて、自信もったんだって。」
と。
文法も知識も大事だけれど、子どもが英語を好きになるのは、
そんな“憧れや自信の後押し”からだったりするんだなあ。
そう感じたある日のできごとでした。
娘さんが習っている英語塾の先生の発音が
とてもきれいだそうで、
娘さんはその先生に憧れ、
「将来は通訳か英語の先生になりたい。」と言っているのだとか。
友人いわく、
「学校の算数ドリルは嫌々やっているのに、英語の宿題は、帰ってきたらすぐにとりかかる」
と。
そして、
「でもさ、Sチャン先生の英語はすごかったね〜・・・」
と、思い出し笑いをする友人に、
私もつられて笑いながら、ある光景を思い出しました。
私も初めて英語を習ったとき、
英語の「発音」をかっこいいなあ、と思い、
あんな風に話せたらいいなあ、と、
わくわくドキドキした気持ちになっていた気がします。
英語と、それをとりまく雰囲気、というんでしょうか。
漠然とだけれど、
「なんか、かっこいい。」
と、あこがれた気持ち。
ところが、中学1年で、英語を担当してくれたS先生(通称Sチャン)は、
それはそれは、独特の・・・
なんというか、訛りのひどい英語の先生だったのです。
かばうわけではないですが、Sチャン先生は、ユーモアもあって、面倒見もよく、生徒から人気の高い先生でした。かくいう私もSチャン先生を慕っていたし、「いい先生だなあ。」と感じていました。
しかし!しかしであ〜る!!
英語の発音は、申し訳ないが聞けたものではなかった…
「でぃす いず あ〜ん あっぽー。ほい!」
「This is an apple.」
「じゃあ、疑問文はなんていうんだ?ほい。いず でぃす あ〜ん あっぽー? だな?」
なぜか、「an」を「a〜n」と伸ばす独特のリズムや、文字どおり、平らでのっぺりした発音で「あっぽー(apple)」と発音していく英語の授業に、子どもながら、「何だかちがう…」とがっかりした気持ちになったことは否めません。
中学1年生。まだまだ素直な気持ちで、わくわくどきどきした初めての英語の授業で感じてしまった「がっかり」の気持ち。
実はこれ、ずいぶん尾をひきました。
時々、先生がカセットで英語の音声を聞かせてくれると(カセット。…時代を感じますね…)その流暢な英語の発音がたまらなく嬉しくて、耳をすませ、まねしたのを覚えています。
大人になり、英語を使ってコミュニケーションするのに大事なことは、正しい発音だけでなく、伝えようとする気持ちだったり背景を知ることであったりと、新しく知ったこともあります。
それでもやっぱり、「外国語」を使いたいと思うきっかけ、学ぼう・身につけようとするモチベーションには、「あこがれ」ってだいじだなあ、と思うのです。
そんなとき、例えば「英語」を教えてくれる先生が、「かっこよくすらすらと英語を話せたり」「英語を使うシチュエーションや雰囲気をだいじにしてくれたり」、そんなことができたら、やっぱり子どもとしては嬉しいよなあ、って思います。
そしてこれは、私の考えですが、
ネイティブではない先生が英語を使ってくれることに
かなり重要な意味があるのだと思います。
「私もこんな風になれるかも。」という気持ち。
そんな先生からの、「上手だね。」の一言。
通訳か英語の先生になりたい、というNちゃん(友人の娘)は、
「先生が、『Nちゃんって発音が上手ね。』って誉めてくれたから」
すっごくやる気になったそうです。
Nちゃんは言いました。
「先生も、中学2年生まで英語できなかったんだって。でも、中3のときの先生が、『高橋さんは、発音がきれいね。』って言ってくれて、自信もったんだって。」
と。
文法も知識も大事だけれど、子どもが英語を好きになるのは、
そんな“憧れや自信の後押し”からだったりするんだなあ。
そう感じたある日のできごとでした。
2007.04.15 Sun
私の、一番幼い友人ユウカ(9歳)。
友人の子どもで、生まれたときから知っているのですが、
なにせ彼女は、とってもおませなおしゃまさん(死語でしょうか?)。
私のことを、”対等な友人”だと思っています。
(そして私も、すっかり彼女のペースに巻き込まれているのです)
彼女は、母親に似たのか歌うこととおしゃべりが大好き。
そのため、耳でいろいろなものを聞き分けることが得意なようです。
そして、去年から始めた英語のレッスンでは、みるみるうちにその成果を見せています。
彼女にレッスン方法を聞いてみると、
「歌を覚えるのとおんなじで、何回も聞いてマネをする」とのこと。
そしてママの秘策。
英語をまねして話すユウカに、すかさずママも
「ユウカ、うまいね〜。由奈ちゃんみたいだよ。」
と。
そう。
彼女は歌手の「伊藤由奈」が大好き。
彼女がハワイ出身で英語がぺらぺら(ネイティヴですもんね)、というのもモチベーションになっているようです。
そんな彼女が、この間おもしろい発見を教えてくれました。
「ねえねえ、Mちゃん(私のこと)。由奈ちゃんのね〜、ものまね見せてあげよっか。」
「ユウカ、ものまねできるの?見せて見せて〜」
「いいよ。」
そして、彼女の歌のフレーズ
”信じよう〜 ふたりだ〜から、愛し合える〜(略)”と歌うではありませんか!!!
「た」は「た」ではなく「ta」として、
「だ」は「だ」ではなく「da」として、
彼女は見事に歌いあげたのです。
tやdの破裂する感じの発音は、日本語とはちがう英語独特の発音の仕方ですが、
9歳のユウカは、ハワイ出身の伊藤由奈さんの、
その「日本語英語」ならぬ「英語日本語」の特徴を
みごとに聞き分け、使い分けていたのです!!!
私はあまりのおどろきに、
「ユウカ、すごい!!」と大絶賛し、その確実に育ちつつある英語耳に、大いなる期待を抱いたのでした。
耳で聞いてまねをする。
シンプルですが、効果は絶大です。
友人の子どもで、生まれたときから知っているのですが、
なにせ彼女は、とってもおませなおしゃまさん(死語でしょうか?)。
私のことを、”対等な友人”だと思っています。
(そして私も、すっかり彼女のペースに巻き込まれているのです)
彼女は、母親に似たのか歌うこととおしゃべりが大好き。
そのため、耳でいろいろなものを聞き分けることが得意なようです。
そして、去年から始めた英語のレッスンでは、みるみるうちにその成果を見せています。
彼女にレッスン方法を聞いてみると、
「歌を覚えるのとおんなじで、何回も聞いてマネをする」とのこと。
そしてママの秘策。
英語をまねして話すユウカに、すかさずママも
「ユウカ、うまいね〜。由奈ちゃんみたいだよ。」
と。
そう。
彼女は歌手の「伊藤由奈」が大好き。
彼女がハワイ出身で英語がぺらぺら(ネイティヴですもんね)、というのもモチベーションになっているようです。
そんな彼女が、この間おもしろい発見を教えてくれました。
「ねえねえ、Mちゃん(私のこと)。由奈ちゃんのね〜、ものまね見せてあげよっか。」
「ユウカ、ものまねできるの?見せて見せて〜」
「いいよ。」
そして、彼女の歌のフレーズ
”信じよう〜 ふたりだ〜から、愛し合える〜(略)”と歌うではありませんか!!!
「た」は「た」ではなく「ta」として、
「だ」は「だ」ではなく「da」として、
彼女は見事に歌いあげたのです。
tやdの破裂する感じの発音は、日本語とはちがう英語独特の発音の仕方ですが、
9歳のユウカは、ハワイ出身の伊藤由奈さんの、
その「日本語英語」ならぬ「英語日本語」の特徴を
みごとに聞き分け、使い分けていたのです!!!
私はあまりのおどろきに、
「ユウカ、すごい!!」と大絶賛し、その確実に育ちつつある英語耳に、大いなる期待を抱いたのでした。
耳で聞いてまねをする。
シンプルですが、効果は絶大です。
2007.04.10 Tue
このあいだ、あるお父さんからコメントをいただきました。
そのことをきっかけに、
今日は、『お父さんの子育て』について書いてみたいと思います。
私の周りにも大勢のお父さんがいるのですが、
初めて「父親だなあ」と実感したのはいつかと尋ねると、
おもしろい答えが返ってきます。
多かったのは、
・周りの人に(パートナーを含めて)「パパ、おめでとう。」と言われた。
・子どもの顔が自分とそっくりだった。
・子どもが「パパ」とわかってくれた。
(自分を見て笑ってくれた、抱くと泣きやむ、声に反応する、などなど)
・子どもが「パパ」と呼んでくれた。というものでした。
女性は、自分の体の中に命が宿り、いわゆる十月十日(とつきとおか)の時間をともに過ごしていく中で、母性が芽生えていく人が多いようです。
自分の体が変化するのですから、男性に比べると実感をもちやすい、ということもあるかもしれません。
もちろん、人によって様々ではありますが、
女性が、ある意味自発性をもって母親の自覚をもっていくのに対し、
男性は、周りの人が自分に接する態度、子どもの様子など、相対性の中で自覚を芽生えさせるのだなあ、と気づきました。
とすると、女性よりも男性の方が実はずっと、子どもとの関係性が大切で(影響が大きくて)、子どもとお父さんが築いていく関係そのものが、「お父さん」を育てていくのかもしれません。
しかも、幼いお子さんと接する時間が限られているお父さんはたくさん。
日々変化するわが子を見つめる時間は、限られているうえにとっても貴重です。
だから、子どもの変化、会話、あらゆる場面はすべて、大きなチャンスです。
そして。
もしかすると、日々接している人よりも、一緒にいる時間の少ない人の方が、その時間さえちゃんと大切にしていれば、いろんなことに気づくチャンス、いや「力」を備えていくんじゃないでしょうか。
当たり前の風景、ではなく、貴重な時間。
当たり前の成長、ではなく、涙が出るほど劇的な進化。
当たり前のできごと、ではなく、たくさんの発見と喜び。
もし、お父さんが子どもとの時間をそんな風に感じられたら、
きっと、お母さん以上に、宝物のようなことば、まなざしを子どもに投げかけられる存在になる。
そんな気がしました。
************************************
学生時代、「子どもはうるさいし、すぐ泣くから大嫌いだ。」
と、公言して憚らなかった友人Aの話。
はじめて、お子さんが「パパ」と呼びかけてくれたその瞬間、
うれしさで体がふるえ、目からは涙があふれ、そのまま号泣してしまったそうです。
何の予兆もなく、ある日突然にっこり笑って自分をゆびさし、
「パパ」と言ったかわいい息子。
(正確にはバアバ、というような発音だったそうです)
「親バカなんて。」と、それこそ周りの親をバカにしていた彼の姿はそこにはなく、
「いとしいってことばのね、味わいがわかる。愛しいっていう言葉のほかにあらわしようがない。」
と言った彼は、まさに、子どもの力によって父性に目覚めたのでしょうね。
そんな彼も今、11歳の男の子と3歳の男の子を育てながら、かわいい、愛しいと子どもを思う時間を経て、
「親として新たな世界を見せてやりたい」
「客観的に『親の役割』とはなんだろう」
父親として子どもとの関わり方を常に模索しているようです。
子どもたちのいろいろな可能性を広げながら、自身も確実に成長している彼。
成長、というと何だか私が上からものを言っているようで恐縮ですが、
友人として、人間的にも父親としても、彼が感性をどんどん磨いているような気がして、うれしく誇らしい気分にさえなるのです。
そして、私もまた、彼を通じて学ばされました。
パパも実は、いろいろなことを見て、感じて、気づき、そして「考えている」。
どんなことが見えているのか。よかったら、すぐ近くにいるパパに聞いてみませんか?
そのことをきっかけに、
今日は、『お父さんの子育て』について書いてみたいと思います。
私の周りにも大勢のお父さんがいるのですが、
初めて「父親だなあ」と実感したのはいつかと尋ねると、
おもしろい答えが返ってきます。
多かったのは、
・周りの人に(パートナーを含めて)「パパ、おめでとう。」と言われた。
・子どもの顔が自分とそっくりだった。
・子どもが「パパ」とわかってくれた。
(自分を見て笑ってくれた、抱くと泣きやむ、声に反応する、などなど)
・子どもが「パパ」と呼んでくれた。というものでした。
女性は、自分の体の中に命が宿り、いわゆる十月十日(とつきとおか)の時間をともに過ごしていく中で、母性が芽生えていく人が多いようです。
自分の体が変化するのですから、男性に比べると実感をもちやすい、ということもあるかもしれません。
もちろん、人によって様々ではありますが、
女性が、ある意味自発性をもって母親の自覚をもっていくのに対し、
男性は、周りの人が自分に接する態度、子どもの様子など、相対性の中で自覚を芽生えさせるのだなあ、と気づきました。
とすると、女性よりも男性の方が実はずっと、子どもとの関係性が大切で(影響が大きくて)、子どもとお父さんが築いていく関係そのものが、「お父さん」を育てていくのかもしれません。
しかも、幼いお子さんと接する時間が限られているお父さんはたくさん。
日々変化するわが子を見つめる時間は、限られているうえにとっても貴重です。
だから、子どもの変化、会話、あらゆる場面はすべて、大きなチャンスです。
そして。
もしかすると、日々接している人よりも、一緒にいる時間の少ない人の方が、その時間さえちゃんと大切にしていれば、いろんなことに気づくチャンス、いや「力」を備えていくんじゃないでしょうか。
当たり前の風景、ではなく、貴重な時間。
当たり前の成長、ではなく、涙が出るほど劇的な進化。
当たり前のできごと、ではなく、たくさんの発見と喜び。
もし、お父さんが子どもとの時間をそんな風に感じられたら、
きっと、お母さん以上に、宝物のようなことば、まなざしを子どもに投げかけられる存在になる。
そんな気がしました。
************************************
学生時代、「子どもはうるさいし、すぐ泣くから大嫌いだ。」
と、公言して憚らなかった友人Aの話。
はじめて、お子さんが「パパ」と呼びかけてくれたその瞬間、
うれしさで体がふるえ、目からは涙があふれ、そのまま号泣してしまったそうです。
何の予兆もなく、ある日突然にっこり笑って自分をゆびさし、
「パパ」と言ったかわいい息子。
(正確にはバアバ、というような発音だったそうです)
「親バカなんて。」と、それこそ周りの親をバカにしていた彼の姿はそこにはなく、
「いとしいってことばのね、味わいがわかる。愛しいっていう言葉のほかにあらわしようがない。」
と言った彼は、まさに、子どもの力によって父性に目覚めたのでしょうね。
そんな彼も今、11歳の男の子と3歳の男の子を育てながら、かわいい、愛しいと子どもを思う時間を経て、
「親として新たな世界を見せてやりたい」
「客観的に『親の役割』とはなんだろう」
父親として子どもとの関わり方を常に模索しているようです。
子どもたちのいろいろな可能性を広げながら、自身も確実に成長している彼。
成長、というと何だか私が上からものを言っているようで恐縮ですが、
友人として、人間的にも父親としても、彼が感性をどんどん磨いているような気がして、うれしく誇らしい気分にさえなるのです。
そして、私もまた、彼を通じて学ばされました。
パパも実は、いろいろなことを見て、感じて、気づき、そして「考えている」。
どんなことが見えているのか。よかったら、すぐ近くにいるパパに聞いてみませんか?
2007.04.04 Wed
ある男の子(★)とお母さん(☆)の会話。
★『ねえねえ、お母さん。みどりはカエル?』
☆『そうね〜。カエルさんは緑ね〜。』
★『しろはうさぎさんだね?』
☆『そうねー。(何かをしながらのあいづち)』
★『ねえねえ、しろはうさぎさんでいいの〜?』
☆『(やさしい口調で)そうよ。うさぎさんは白いでしょ?』
★『「しろい」じゃないよー、「しろ」だよ。』
☆『「白い」も「白」もおんなじよ。』
★『じゃあ、ほかには〜?』
☆『(??)ほかってなあに?』
★『…みどりはカエルだしぃ…(ちっちゃな声で)』
☆『そうね。』
★『あとは…』
(しばし、考える男の子)
★『あ!きいろもあった!』
☆『きいろはなあに?』
★『(嬉しそうに、すかさず)きいろは”ちよこ”(おそらくひよこ)でねー、しろはウサギでしょー…』
一生懸命な男の子の様子がほほえましく、
しばらくやりとりに見入ってしまいましたが、
このやりとりで、面白いことに気づきました。
最初に、「あれ!?」と思ったのは、
男の子とお母さんの微妙なニュアンスの違い。
男の子は、
「○○(色)は△△(生き物)だよね」という言い方をしていて。
なんだか、覚えた色を一生懸命伝えようとしている、
そんな感じがしました。
「この色は、△△だね」って、知ってる動物にあてはめて
一生懸命、そのことを披露しているような。
一方、お母さんは、
「そうね。△△(生き物)は○○色ね。」
という言い方をしていて。
それは、そのとおり。
まちがっていることではないんです。
でも。少しだけ、ほんの少しだけ感じた違い。
やりとりを聞いて、男の子の様子を見ているうちに思いました。
もしかすると、男の子は、
その自分の伝えたい「ど真ん中の感じ(ニュアンス)」と
ちょっと違っているように感じたのかなあ。
そしてそれが、そのあとのやりとりにつながっていったのかな、と。
しろい、と、しろ にこだわったところ。
「○○(色)は△△(生き物)だね」と言い続けたところ。
どことなく、その伝え方にこだわりを感じ。
お母さんとの会話の中で、本能的に
「ボクのいいたいのと、まだぴったりじゃない。」
って感じたのかな、なんて。
私は、そんな風に思いました。
だからこそ、「きいろ」のくだりで、
お母さんが「きいろはなあに?」
っていう聞き方をしたとき、男の子とお母さんの会話が
同じ呼吸になった気がしたのです。
そのときの、男の子のすっきりしたような得意げな顔。
うれしそうに、すかさず「きいろはねー…」と返事をしたこと。
私にはそのことが、
子どもが本能的に感じ、こだわった
ことばや会話のニュアンスの「ぴったり感」
なのかもしれないなあ、
そんな風に思えたのでした。
また、ひょっとすると、
自分の伝えたありのまま、「そのまんま」を受けとめてもらえた。
それが嬉しかったのかもしれません。
いずれにしろ、
ことばを感じる力、伝える力というのは、
子どもにもしっかり感覚として身についている。
それが感動的でした。
PS.親子の会話の解釈。それが正しかったのかどうかは、
そのことばを使った、あの男の子本人にしか
実はわからないんですけどね。
★『ねえねえ、お母さん。みどりはカエル?』
☆『そうね〜。カエルさんは緑ね〜。』
★『しろはうさぎさんだね?』
☆『そうねー。(何かをしながらのあいづち)』
★『ねえねえ、しろはうさぎさんでいいの〜?』
☆『(やさしい口調で)そうよ。うさぎさんは白いでしょ?』
★『「しろい」じゃないよー、「しろ」だよ。』
☆『「白い」も「白」もおんなじよ。』
★『じゃあ、ほかには〜?』
☆『(??)ほかってなあに?』
★『…みどりはカエルだしぃ…(ちっちゃな声で)』
☆『そうね。』
★『あとは…』
(しばし、考える男の子)
★『あ!きいろもあった!』
☆『きいろはなあに?』
★『(嬉しそうに、すかさず)きいろは”ちよこ”(おそらくひよこ)でねー、しろはウサギでしょー…』
一生懸命な男の子の様子がほほえましく、
しばらくやりとりに見入ってしまいましたが、
このやりとりで、面白いことに気づきました。
最初に、「あれ!?」と思ったのは、
男の子とお母さんの微妙なニュアンスの違い。
男の子は、
「○○(色)は△△(生き物)だよね」という言い方をしていて。
なんだか、覚えた色を一生懸命伝えようとしている、
そんな感じがしました。
「この色は、△△だね」って、知ってる動物にあてはめて
一生懸命、そのことを披露しているような。
一方、お母さんは、
「そうね。△△(生き物)は○○色ね。」
という言い方をしていて。
それは、そのとおり。
まちがっていることではないんです。
でも。少しだけ、ほんの少しだけ感じた違い。
やりとりを聞いて、男の子の様子を見ているうちに思いました。
もしかすると、男の子は、
その自分の伝えたい「ど真ん中の感じ(ニュアンス)」と
ちょっと違っているように感じたのかなあ。
そしてそれが、そのあとのやりとりにつながっていったのかな、と。
しろい、と、しろ にこだわったところ。
「○○(色)は△△(生き物)だね」と言い続けたところ。
どことなく、その伝え方にこだわりを感じ。
お母さんとの会話の中で、本能的に
「ボクのいいたいのと、まだぴったりじゃない。」
って感じたのかな、なんて。
私は、そんな風に思いました。
だからこそ、「きいろ」のくだりで、
お母さんが「きいろはなあに?」
っていう聞き方をしたとき、男の子とお母さんの会話が
同じ呼吸になった気がしたのです。
そのときの、男の子のすっきりしたような得意げな顔。
うれしそうに、すかさず「きいろはねー…」と返事をしたこと。
私にはそのことが、
子どもが本能的に感じ、こだわった
ことばや会話のニュアンスの「ぴったり感」
なのかもしれないなあ、
そんな風に思えたのでした。
また、ひょっとすると、
自分の伝えたありのまま、「そのまんま」を受けとめてもらえた。
それが嬉しかったのかもしれません。
いずれにしろ、
ことばを感じる力、伝える力というのは、
子どもにもしっかり感覚として身についている。
それが感動的でした。
PS.親子の会話の解釈。それが正しかったのかどうかは、
そのことばを使った、あの男の子本人にしか
実はわからないんですけどね。
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