2008.05.31 Sat
いじめにまつわる悲しい事件・情報を耳にするたび、胸がしめつけられるような痛みを覚えます。
親御さんにとっては、わが子への思いの強さを考えると、その比ではない苦しみ・痛みであろうと思います。
もちろん、当事者である子どもの苦悩はどれほどのものでしょう。
あのときどうして、気づいてあげられなかったのだろう。
もっと話をしていれば。
自分を責める気持ち、後悔の念と同時に、親や大人たちは
こうも思います。
「どうしてもっと早く打ち明けてくれなかったのか。」
「一人で苦しませず、助けてあげることができたのではないか。」
あるとき、そんな話を友人としていると、その友人からこんな話を聞きました。
その友人の子どもは、ある時期にいじめを受けていたのだそうです。
いつも明るく、正義感も強く、人に優しく。
まわりを楽しませたり喜ばせることが好きなお子さんです。
それが、ある時期を境に、その明るさが「空元気」のように見え、
みんなでいるときは笑顔でも、部屋に入るとため息をついたり、
ぼーっと何か考え事をしているような様子が見られるようになったそうです。
その様子が気になった友人は、何度となく
「調子が悪いの?」「元気がないようだけど、何かあった?」
と、声をかけました。
でも、その度に子どもは「なんでもない」「体育でちょっと疲れただけ。」と、何事もなかったかのように、笑顔で答えたそうです。
それから何日かして、友人は、別のお子さんのお母様から、
どうやら友人の子どもがいじめにあっているらしいとの話を聞かされました。
家に帰ってから子どもにそのことを尋ねると、目に涙を浮かべて、
それでも、
「いじめられてるんじゃない。けんかをしただけだ。もう仲直りしたから大丈夫。」
と、かたくなにいじめについて認めようとはしなかったといいます。
友人はなおも問い詰めました。
「悩んでるならお母さんに話して。どうして言ってくれないの?最近様子も変だし、誰かにおどかされたりしてるんじゃないの?」
子どもは首を横にふります。
釈然としないながらも、友人は、話をやめました。
次の日、学校に送り出した友人は、一度も自分の目を見ようとしない子どもに
不安な気持ちでいっぱいになりながら、自分もどうしていいかわからないまま、
家の中を掃除し始めたそうです。
すると、子どもの部屋に、自分宛の手紙がありました。
そこには、
・自分がいじめにあっていること
・その原因が、自分の軽はずみなからかいで傷つけてしまった友だちからのしかえしであること
・自分に負い目があるから、いじめをやめてほしいと言えないこと
・いじめのことを話すと、(最初に友人をからかった)自分の話をしなくてはいけないので言いたくなかったこと
・そのことで、親にがっかりされたり叱られたくないと思っていること
・でも、昨日の夜、お母さんが真剣に自分を心配してくれて嬉しかったこと
・今日、勇気をもって友だちに謝って許してもらおうと思っていること
そういった内容が書かれていたそうです。
その文面の端々から、「親の期待する自分にそむきたくない(そむいたことを認めたくない)」
という気持ちや、「そんな自分に自信を失いかけている様子」が強く感じられ、
友人は、いじめそのものの事実と同じくらい、自分たち親への必死の思いで追いつめられていたのか
と驚きました。
そして、(だから、親に目の前で失望されたり叱られたりしたら、自分を支えられないと思ったんだ。)
と、子どもの思いに気づいたそうです。
放課後、いつもより少し遅く家に帰ってきた子どもは、今までに見たこともないくらい緊張した顔つきで、足早に部屋へ向かおうとしたそうです。
友人は、言いました。
母「○○(子どもの名前)、お帰り!手紙読んだよ。」
子「・・・」
母「話してくれて、ありがとね。」「お母さん、すっごく嬉しかった。○○の気持ちがわかって、本当によかったよ。ありがとね。」
すると、子どもは目にぶわーっと涙を浮かべてしゃくりあげながら、
「ごめんなさい!!」
と謝り、堰をきったように、今までのできごと、自分の思い、今日のこと・・・
泣きながら友人にすべて話したそうです。
その後、このいじめ問題が解決するまでには1ヶ月近くかかったそうですが、
子どもの表情は、見違えるほど変わってホッとした、と、友人は話してくれました。
親が、自分の弱さもひっくるめて認めてくれた・味方でいてくれる安心感は、
どれだけ勇気を与えたことかと思います。
子どもが、親に何かを打ち明けるというのは、大人が思っている何倍・何十倍の勇気がいることでしょう。
自分の子ども時代を思い返しても、思い当たることがいくつもあります。
子どもがその壁を打ちやぶって、親に何かを打ち明けようとするには、
親の姿勢に、どんなことでも「言ってくれてよかった」というものを感じられることが
大切なのかもしれません。
大人として子どもの話を聞くとき、ついつい、話の内容を「ジャッジする」姿勢で、
時には、アドバイスしてやろうという前提で聞いてしまうことがありますが、
まず、話し手が「勇気をもって言ってよかった」と思えるように、
「話してくれてありがとう。」「聞いてよかった。」の姿勢から入りたい。
自分の感情として聞くのではなく、相手の思いに寄り添って話を聞こう。
そして、子どもが追いつめられてしまう前に、「勇気をもって話してみようと思える大人」で
ありたいと思うこのごろです。
(よかったらお願いします)


親御さんにとっては、わが子への思いの強さを考えると、その比ではない苦しみ・痛みであろうと思います。
もちろん、当事者である子どもの苦悩はどれほどのものでしょう。
あのときどうして、気づいてあげられなかったのだろう。
もっと話をしていれば。
自分を責める気持ち、後悔の念と同時に、親や大人たちは
こうも思います。
「どうしてもっと早く打ち明けてくれなかったのか。」
「一人で苦しませず、助けてあげることができたのではないか。」
あるとき、そんな話を友人としていると、その友人からこんな話を聞きました。
その友人の子どもは、ある時期にいじめを受けていたのだそうです。
いつも明るく、正義感も強く、人に優しく。
まわりを楽しませたり喜ばせることが好きなお子さんです。
それが、ある時期を境に、その明るさが「空元気」のように見え、
みんなでいるときは笑顔でも、部屋に入るとため息をついたり、
ぼーっと何か考え事をしているような様子が見られるようになったそうです。
その様子が気になった友人は、何度となく
「調子が悪いの?」「元気がないようだけど、何かあった?」
と、声をかけました。
でも、その度に子どもは「なんでもない」「体育でちょっと疲れただけ。」と、何事もなかったかのように、笑顔で答えたそうです。
それから何日かして、友人は、別のお子さんのお母様から、
どうやら友人の子どもがいじめにあっているらしいとの話を聞かされました。
家に帰ってから子どもにそのことを尋ねると、目に涙を浮かべて、
それでも、
「いじめられてるんじゃない。けんかをしただけだ。もう仲直りしたから大丈夫。」
と、かたくなにいじめについて認めようとはしなかったといいます。
友人はなおも問い詰めました。
「悩んでるならお母さんに話して。どうして言ってくれないの?最近様子も変だし、誰かにおどかされたりしてるんじゃないの?」
子どもは首を横にふります。
釈然としないながらも、友人は、話をやめました。
次の日、学校に送り出した友人は、一度も自分の目を見ようとしない子どもに
不安な気持ちでいっぱいになりながら、自分もどうしていいかわからないまま、
家の中を掃除し始めたそうです。
すると、子どもの部屋に、自分宛の手紙がありました。
そこには、
・自分がいじめにあっていること
・その原因が、自分の軽はずみなからかいで傷つけてしまった友だちからのしかえしであること
・自分に負い目があるから、いじめをやめてほしいと言えないこと
・いじめのことを話すと、(最初に友人をからかった)自分の話をしなくてはいけないので言いたくなかったこと
・そのことで、親にがっかりされたり叱られたくないと思っていること
・でも、昨日の夜、お母さんが真剣に自分を心配してくれて嬉しかったこと
・今日、勇気をもって友だちに謝って許してもらおうと思っていること
そういった内容が書かれていたそうです。
その文面の端々から、「親の期待する自分にそむきたくない(そむいたことを認めたくない)」
という気持ちや、「そんな自分に自信を失いかけている様子」が強く感じられ、
友人は、いじめそのものの事実と同じくらい、自分たち親への必死の思いで追いつめられていたのか
と驚きました。
そして、(だから、親に目の前で失望されたり叱られたりしたら、自分を支えられないと思ったんだ。)
と、子どもの思いに気づいたそうです。
放課後、いつもより少し遅く家に帰ってきた子どもは、今までに見たこともないくらい緊張した顔つきで、足早に部屋へ向かおうとしたそうです。
友人は、言いました。
母「○○(子どもの名前)、お帰り!手紙読んだよ。」
子「・・・」
母「話してくれて、ありがとね。」「お母さん、すっごく嬉しかった。○○の気持ちがわかって、本当によかったよ。ありがとね。」
すると、子どもは目にぶわーっと涙を浮かべてしゃくりあげながら、
「ごめんなさい!!」
と謝り、堰をきったように、今までのできごと、自分の思い、今日のこと・・・
泣きながら友人にすべて話したそうです。
その後、このいじめ問題が解決するまでには1ヶ月近くかかったそうですが、
子どもの表情は、見違えるほど変わってホッとした、と、友人は話してくれました。
親が、自分の弱さもひっくるめて認めてくれた・味方でいてくれる安心感は、
どれだけ勇気を与えたことかと思います。
子どもが、親に何かを打ち明けるというのは、大人が思っている何倍・何十倍の勇気がいることでしょう。
自分の子ども時代を思い返しても、思い当たることがいくつもあります。
子どもがその壁を打ちやぶって、親に何かを打ち明けようとするには、
親の姿勢に、どんなことでも「言ってくれてよかった」というものを感じられることが
大切なのかもしれません。
大人として子どもの話を聞くとき、ついつい、話の内容を「ジャッジする」姿勢で、
時には、アドバイスしてやろうという前提で聞いてしまうことがありますが、
まず、話し手が「勇気をもって言ってよかった」と思えるように、
「話してくれてありがとう。」「聞いてよかった。」の姿勢から入りたい。
自分の感情として聞くのではなく、相手の思いに寄り添って話を聞こう。
そして、子どもが追いつめられてしまう前に、「勇気をもって話してみようと思える大人」で
ありたいと思うこのごろです。
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2008.04.09 Wed
20年来の友人Mから、つい先日電話をもらいました。
2人の子育てに奮闘していたMの6年間。
ときには悩み相談、ときには近況報告と、
何かあるたびに連絡を取り合っていましたが、
今回は、約半年ぶりという久しぶりの電話でした。
前回電話で話したときは、Mが前にいた職場に復帰したばかりの時期でした。
下の娘さんが幼稚園になじみ、上の娘さんも小学校にあがったことをきっかけに、
仕事復帰をしたんだけれど、
1日のスケジュールも変わり、体力的にも精神的にもかなりハードだ、
というような話をしていました。
いつも元気200%のMが、珍しく弱音をはいていて、
これからの自分にも少し自信をなくしかけていたようでした。
そのときは、とにかく話を聞いて、聞いて、聞きました。
・今までの7年間と比べ、一緒に過ごす時間が圧倒的に少なくなったこと。
・「そのときでないと」という絶妙のタイミングで声をかけたり話を聞いたりすることが
難しくなっていること。
・娘さんがちょっとしたことで癇癪を起こすこと。赤ちゃんがえりを始めたこと。
・下の娘さんの人見知りが気がかりなこと。
・仕事と家庭の両立を、あきらめたくないこと。
・でも毎朝、『仕事をやめたほうがいいんだろうか。』と自問自答すること
・迷う気持ちがあること・・・
とにかく、いろいろなことが気がかりで。
でも、そんな中でも「元に戻る」選択肢ではなく、「今これからを切り開いていこう」という
彼女の意思が感じられたのを覚えています。
そしてそのあと彼女が、やってみようかな、といったのが“親子交換日記”だったのです。
「また電話するね。」と言って電話を切ったあの日から半年。
Mの声は、とても明るく自信と充実感に満ちた様子でした。
そして、それはあの“親子交換日記”の力が大きかったようです。
■“今日のママからのメッセージ”(「おかえり!」「つくえにあったパパのえ、じょうずにかけてたね。」などなど)
から始まり、
■“おやつはどーこだ?”(おやつを指定したり、いつもと違う場所に隠して、ヒントを出しておいたりする)
■“明日の夕飯リクエストコーナー”(空欄にしておいて、子どもたちが自由に書くスペース)
■“今日のできごとベスト3”(お互いに、今日あったできごとをベスト3形式に記入)
などなど。
日記としても楽しめる趣向ながら、
どんな1日を過ごしたのか知ることができたり、
ママがいなくてもさびしく思わないでいられる工夫があったり、
一緒に何かをやっている空気を作り出すこともできたり。
働くママの「子育ての知恵」を感じる話が満載でした。
また、日記を始めてからは、
字の読めない下の娘さんにお姉ちゃんが声に出して、
ママの日記を読んであげるなんていうほほえましい光景もあったそうです。
「読みたい」「伝えたい」という気持ちからか、
自然と字を覚えたり絵を描いて表現したりする積極的なところも出てきたと言っていました。
話を聞く中には、途中ずいぶん苦労もあったんだなあと感じたけれど、
発見したり工夫したりしながら、子どもたちと一緒に家族の時間を作り上げている実感を持てたそうです。
そして、大変だけど好きで始めた仕事にも、充実感を覚えているとのこと。
「めちゃくちゃ忙しいけど、自分と家族で人生を作り上げていってるって実感がけっこうあるんだよね。」
このMの言葉には本当に感心し、あらためて尊敬しました。
「さすが!ポジティブMの復活だね!!」
と言った私に、
「まあね(笑)。まだまだがんばるよ!」
と答えたM。
我が友ながらアッパレな自画自賛っぷりですが(笑)、
私も彼女から大事なことを学んだ思いがします。
限られた時間、限られた環境や条件。
それを嘆くのではなく、まわりにある資源を活かし、知恵を使って解決していく。
このことは、人を強くし、賢くし、そしてその人の人生をもっともっと豊かにしていくんだな、と。
私の生活の中にも、まだまだ工夫の余地がありそうです。
そしてそれは、もっと豊かに生きるための“まだ開かれていない宝箱”かもしれません
(よかったらお願いします)


2人の子育てに奮闘していたMの6年間。
ときには悩み相談、ときには近況報告と、
何かあるたびに連絡を取り合っていましたが、
今回は、約半年ぶりという久しぶりの電話でした。
前回電話で話したときは、Mが前にいた職場に復帰したばかりの時期でした。
下の娘さんが幼稚園になじみ、上の娘さんも小学校にあがったことをきっかけに、
仕事復帰をしたんだけれど、
1日のスケジュールも変わり、体力的にも精神的にもかなりハードだ、
というような話をしていました。
いつも元気200%のMが、珍しく弱音をはいていて、
これからの自分にも少し自信をなくしかけていたようでした。
そのときは、とにかく話を聞いて、聞いて、聞きました。
・今までの7年間と比べ、一緒に過ごす時間が圧倒的に少なくなったこと。
・「そのときでないと」という絶妙のタイミングで声をかけたり話を聞いたりすることが
難しくなっていること。
・娘さんがちょっとしたことで癇癪を起こすこと。赤ちゃんがえりを始めたこと。
・下の娘さんの人見知りが気がかりなこと。
・仕事と家庭の両立を、あきらめたくないこと。
・でも毎朝、『仕事をやめたほうがいいんだろうか。』と自問自答すること
・迷う気持ちがあること・・・
とにかく、いろいろなことが気がかりで。
でも、そんな中でも「元に戻る」選択肢ではなく、「今これからを切り開いていこう」という
彼女の意思が感じられたのを覚えています。
そしてそのあと彼女が、やってみようかな、といったのが“親子交換日記”だったのです。
「また電話するね。」と言って電話を切ったあの日から半年。
Mの声は、とても明るく自信と充実感に満ちた様子でした。
そして、それはあの“親子交換日記”の力が大きかったようです。
■“今日のママからのメッセージ”(「おかえり!」「つくえにあったパパのえ、じょうずにかけてたね。」などなど)
から始まり、
■“おやつはどーこだ?”(おやつを指定したり、いつもと違う場所に隠して、ヒントを出しておいたりする)
■“明日の夕飯リクエストコーナー”(空欄にしておいて、子どもたちが自由に書くスペース)
■“今日のできごとベスト3”(お互いに、今日あったできごとをベスト3形式に記入)
などなど。
日記としても楽しめる趣向ながら、
どんな1日を過ごしたのか知ることができたり、
ママがいなくてもさびしく思わないでいられる工夫があったり、
一緒に何かをやっている空気を作り出すこともできたり。
働くママの「子育ての知恵」を感じる話が満載でした。
また、日記を始めてからは、
字の読めない下の娘さんにお姉ちゃんが声に出して、
ママの日記を読んであげるなんていうほほえましい光景もあったそうです。
「読みたい」「伝えたい」という気持ちからか、
自然と字を覚えたり絵を描いて表現したりする積極的なところも出てきたと言っていました。
話を聞く中には、途中ずいぶん苦労もあったんだなあと感じたけれど、
発見したり工夫したりしながら、子どもたちと一緒に家族の時間を作り上げている実感を持てたそうです。
そして、大変だけど好きで始めた仕事にも、充実感を覚えているとのこと。
「めちゃくちゃ忙しいけど、自分と家族で人生を作り上げていってるって実感がけっこうあるんだよね。」
このMの言葉には本当に感心し、あらためて尊敬しました。
「さすが!ポジティブMの復活だね!!」
と言った私に、
「まあね(笑)。まだまだがんばるよ!」
と答えたM。
我が友ながらアッパレな自画自賛っぷりですが(笑)、
私も彼女から大事なことを学んだ思いがします。
限られた時間、限られた環境や条件。
それを嘆くのではなく、まわりにある資源を活かし、知恵を使って解決していく。
このことは、人を強くし、賢くし、そしてその人の人生をもっともっと豊かにしていくんだな、と。
私の生活の中にも、まだまだ工夫の余地がありそうです。
そしてそれは、もっと豊かに生きるための“まだ開かれていない宝箱”かもしれません
(よかったらお願いします)
2008.03.09 Sun

3月になり、心なしか風が暖かくなってきました。
春が来たんだな、と感じます。
春らしさを感じるところはいろいろあります。
私は特に、風や空気、そして街や電車で見かける色、
そして何より、人の雰囲気から春を感じることが多いです。
春は冬と比べて街や人に彩りが増え、やわらかな雰囲気が増します。
人の雰囲気も、どこかウキウキするような、軽やかになっていくような。
そんな気がしています。
今日は、そんな春を感じる場所、「松田の桜祭り」に行ってきました。
イメージしていた桜より、少しピンクの濃い桜。
黄色が鮮やかな菜の花。
そのコントラストに、思わず
『うわ〜!!きれい』
と声をあげてしまいました。
気づくと、周りのお父さん・お母さん、そして子どもたちも、
口々に感嘆の声をあげています。
その会話に耳をすませると、とてもおもしろい発見がありました。
ある子は
『うわ〜。いろんなにおいがまざってる〜。お花のにおいだねー。桜のにおいかな〜』
花に鼻を近づけてみたり、空気を大きく吸い込んでみたり、
ある子は
『お母さん!!ここから見ると、ピンクと黄色が重なってつながって見えるよー。写真撮ろうよ!』
いろいろな角度から花や木を見たり、手にとってじっと観察したり。
またある子は、桜よりもそこから一望できる街の風景に興味しんしん。
しかも、橋と道路と河が織り成す一枚の絵のような風景がとても気に入ったようで、
『あの道からこう来ると・・・河ときれいに十字型になるんだよな〜。』
なんて言いながら手を動かして、まるで図面をひく設計者のようでした。
ある女の子は、俳句を詠むかのように節をつけながら
『さくらいろ きいろもあるね きれいなじゅうたん はちもちょうちょも てんごくてんごく♪』
ケンケンしながら、階段を元気に降りていきました。
その子はその後も、公園の中にある遊具を見つけては
『これはくるくるしてるから、“まるまるのぼり棒”って名前にしよう。』
そういってネーミングしたり、あれこれコメントしたり。
私たちは、面白い言葉表現をする子だな〜、と、ほほえましく見ていました。
子どもたちは、同じ場所にいて、同じものを見て、聞いて、感じているように思いますが、
それぞれ興味の対象、感じ方、そして感じたこと・気づいたことの表現は、
本当に十人十色です。
よく観察してみると、それぞれ「どんな感覚がよく発達しているか」「どんなことに強みがあるのか」
「何が関心の中心にあるのか」が、とてもよくわかります。
私たち大人にも、もちろんその「感覚の強み」があるわけで、それは人それぞれ違うわけですが、
子どもたちが無意識に発しているその「強み」を、私たちが上手にキャッチして、
その子どもたちが自信をもって強みを伸ばしていかれるようにサポートしていけたらいいな、
と思います。
「色」「風景」「形」など、目に入る情報をパッとつかめる子には、
そうした視覚的な情報処理に強みがありそうです。
積み木やパズルなど、図形やチャートといったものが得意になるかもしれませんね。
「言葉」で表現することをおもしろがったり楽しんだりする子には
多くの「言葉あそび」の機会が、能力を刺激してあげられそうです。
本を読んだり、お話をつくったりしながら、情緒も表現力も豊かに育つかもしれません。
子どもたちとの何気ない日常に、
たくさんのキラキラした宝物が見えるなんて
本当に楽しいことですね♪
春らしい1日を、十分満喫できました。

(よかったらお願いします)
2008.02.01 Fri
私、先日めでたく(!?)一つ歳をとりました。
そのたびに、ある一人の友人のことを必ず思い出します。
彼女は、生年月日・血液型、そして出身地もたいへん近い友人です。
彼女とは、大学時代に知り合いました。
そして、とても短い期間しか交流がもてませんでした。
早い時期に留学をし、何度か帰国していましたが、その後海外で結婚。
互いに引越しをする中で、連絡先もわからなくなってしまったのです。
彼女とは、性格も趣味も違うところだらけでしたが、
誕生日も血液型も、出身地までほぼ一緒との偶然に、
話がたいへん盛り上がり、その日だけでずいぶん親しくなったことを
今でも覚えています。
彼女は私の行動や発想を面白がり、私は彼女の博識に驚きの連続でした。
でも、たまに共感する話が出てくると、なぜだかそれは、
たまたま周りの人に「へえ、ちょっと変わってるね。」と言われるところばかりで、
偶然なのでしょうが、「この生まれの人の特長なのかな?」なんて言い合いながら、
ずいぶん親近感を覚えたものです。
そして、彼女にとっての私、私にとっての彼女は、本当に違うタイプの人間同士の
出会い。
そして、偶然の話から「あ、同じだね!」でお互いを知り始めようとした、
“うれしい展開”の関係でした。
自分と同じところがある。
それは、性格や考え方、環境だったり、特徴だったりするのでしょうが、
どんなことであったとしても、『あ、同じだ!』という気づきから、
その人に近づきたいと思ったり興味をもったり、親近感を感じることがある。
それは、『相手(人)を知ろう』とする、とても大きなエネルギーになると思います。
もちろん、人それぞれ価値観も多様ですし、必ずしも「同じでうれしい」lことばかりとは
限りません。
この「同じ探し」が間違った風にとらえられると、「違うもの排除」のようになって、
いじめにつながることだって、時にはあります。
小さく排他的なコミュニティを作る目的ではなくて、
いろいろな人がいたり、すぐに仲良くなれるか不安なときでも、
「どこかに同じところがないかな?」と興味をもって話してみることで、
自分で決めてしまった小さな枠から、ぽんっと飛び出ることができるかもしれません。
人と人でつくる大きなコミュニティは、そんな「あ、同じだ!」を
なるべくいろいろな角度から見つけてみることが始まり、という気がします。
(よかったらお願いします)


そのたびに、ある一人の友人のことを必ず思い出します。
彼女は、生年月日・血液型、そして出身地もたいへん近い友人です。
彼女とは、大学時代に知り合いました。
そして、とても短い期間しか交流がもてませんでした。
早い時期に留学をし、何度か帰国していましたが、その後海外で結婚。
互いに引越しをする中で、連絡先もわからなくなってしまったのです。
彼女とは、性格も趣味も違うところだらけでしたが、
誕生日も血液型も、出身地までほぼ一緒との偶然に、
話がたいへん盛り上がり、その日だけでずいぶん親しくなったことを
今でも覚えています。
彼女は私の行動や発想を面白がり、私は彼女の博識に驚きの連続でした。
でも、たまに共感する話が出てくると、なぜだかそれは、
たまたま周りの人に「へえ、ちょっと変わってるね。」と言われるところばかりで、
偶然なのでしょうが、「この生まれの人の特長なのかな?」なんて言い合いながら、
ずいぶん親近感を覚えたものです。
そして、彼女にとっての私、私にとっての彼女は、本当に違うタイプの人間同士の
出会い。
そして、偶然の話から「あ、同じだね!」でお互いを知り始めようとした、
“うれしい展開”の関係でした。
自分と同じところがある。
それは、性格や考え方、環境だったり、特徴だったりするのでしょうが、
どんなことであったとしても、『あ、同じだ!』という気づきから、
その人に近づきたいと思ったり興味をもったり、親近感を感じることがある。
それは、『相手(人)を知ろう』とする、とても大きなエネルギーになると思います。
もちろん、人それぞれ価値観も多様ですし、必ずしも「同じでうれしい」lことばかりとは
限りません。
この「同じ探し」が間違った風にとらえられると、「違うもの排除」のようになって、
いじめにつながることだって、時にはあります。
小さく排他的なコミュニティを作る目的ではなくて、
いろいろな人がいたり、すぐに仲良くなれるか不安なときでも、
「どこかに同じところがないかな?」と興味をもって話してみることで、
自分で決めてしまった小さな枠から、ぽんっと飛び出ることができるかもしれません。
人と人でつくる大きなコミュニティは、そんな「あ、同じだ!」を
なるべくいろいろな角度から見つけてみることが始まり、という気がします。
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2008.01.15 Tue
昨日は成人の日でしたね。
街中で、晴れ着をまとったたくさんの“新成人”の姿を見かけました。
明るい笑顔、活き活きした足取。
ずいぶんまぶしく、私もつられてうれしい気分になってしまいました。
そういえば日本では昔から、節目節目の大事な行事に
一番いい着物をきてお披露目をする慣わしがありますね。
お宮参り、七五三、成人式などの「ハレ」の日。
「ハレ」の日にきる着物、だから「晴れ着」と呼ばれるようになったと何かで読みました。
着物を着る人を見かけることはずいぶん減りましたが、
お宮参り、七五三、成人式といった行事に「晴れ着」を着る習慣はまだまだ健在。
全国各地で見られる光景です。
そう考えると、親が子の幸せを思い、
『ハレの日に晴れ着を着せてやりたい、お祝いしてやりたい』
と願う気持ちは、昔も今も変わらず、脈脈と受け継がれているものなんだなあ、と
親の思いの不変さをしみじみ思わずにはいられません。
何年か前までは、今日15日が「成人の日」でした(古来の小正月:1月15日に合わせて制定されたようです)が、
私自身も当時15日に成人式だったためか、
この日を迎えると当時をふと思い出すことがあります。
今日もそんな風でした。
見えないところで、親にかけていた苦労(精神的にも経済的にも・・・)。
大人になってみて、また同じ親の立場になってみて気づかされることってありますよね。
そんな風にして気づいた親の思いに報いるためにも、
今度は私が、子ども世代に注ぐ愛情と力とで返していこう・・・
ついふだんは忘れがちですが、今日という日には改めて思ってみるのでした。
そういえば。
かつて新成人だった私も、成人式以来久々となる同窓会に来月行ってきます。
どんな再会が待っていることやら(笑)。
ともあれ、「新たな親世代」の「新たな!?子育て観」。
いろいろリサーチしてこようと思います。
乞う、ご期待!?
(よかったらお願いします⇒)
街中で、晴れ着をまとったたくさんの“新成人”の姿を見かけました。
明るい笑顔、活き活きした足取。
ずいぶんまぶしく、私もつられてうれしい気分になってしまいました。
そういえば日本では昔から、節目節目の大事な行事に
一番いい着物をきてお披露目をする慣わしがありますね。
お宮参り、七五三、成人式などの「ハレ」の日。
「ハレ」の日にきる着物、だから「晴れ着」と呼ばれるようになったと何かで読みました。
着物を着る人を見かけることはずいぶん減りましたが、
お宮参り、七五三、成人式といった行事に「晴れ着」を着る習慣はまだまだ健在。
全国各地で見られる光景です。
そう考えると、親が子の幸せを思い、
『ハレの日に晴れ着を着せてやりたい、お祝いしてやりたい』
と願う気持ちは、昔も今も変わらず、脈脈と受け継がれているものなんだなあ、と
親の思いの不変さをしみじみ思わずにはいられません。
何年か前までは、今日15日が「成人の日」でした(古来の小正月:1月15日に合わせて制定されたようです)が、
私自身も当時15日に成人式だったためか、
この日を迎えると当時をふと思い出すことがあります。
今日もそんな風でした。
見えないところで、親にかけていた苦労(精神的にも経済的にも・・・)。
大人になってみて、また同じ親の立場になってみて気づかされることってありますよね。
そんな風にして気づいた親の思いに報いるためにも、
今度は私が、子ども世代に注ぐ愛情と力とで返していこう・・・
ついふだんは忘れがちですが、今日という日には改めて思ってみるのでした。
そういえば。
かつて新成人だった私も、成人式以来久々となる同窓会に来月行ってきます。
どんな再会が待っていることやら(笑)。
ともあれ、「新たな親世代」の「新たな!?子育て観」。
いろいろリサーチしてこようと思います。
乞う、ご期待!?
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2007.12.16 Sun
あるクイズ番組を見ていた親子の会話から。
子『大人なのにこれ知らないの、やばいよね。』
母『そう?』
子『やだなー。笑われるの、やだ。』
母『そっか。笑われちゃうとやなんだ。』
子『やだよ。やっぱり、俺ちゃんと(勉強)やっとこーっと。』
またある日、大きな空気砲を作り、どこまで空気が届くか、という実験を
テレビで見ていた子どもと母親の会話から。
(その実験と解説に感動した様子の子どもが)
子『すごーーい。すごいよ、お母さん。』
母『あら。どうしたの?』
(説明する子ども。さらにテレビを見るよう勧める)
母『なんでこうなるんだろうね。』
子『それはね・・・(さっそく説明)』
母『へえ。そうなんだ。おもしろいね〜〜。』
『じゃあさ、もっと大きいのだったら、もっと遠くに飛ぶかな?』
子『(しばし考えて)重さに耐えられるようにしなくちゃいけないでしょー。それで・・・』
(考えを紙に書き始める子ども)
************************************
それが勉強の本質がどうか、正論かどうかの問題とは違いますが、
子どもが自分で何かに気づいて、行動しようとしていることに、
間違いはありません。
子どもが勉強に向かったり、学習をしようというきっかけは、
こんなところに転がっているものかもしれませんね。
こんなとき、ここぞとばかりに「そうなのよ。だからちゃんと勉強しなくちゃね!」
なんて言う必要はなさそうです、よ♪
私自身の考えですが、何かをし始めようとする動機そのものに、
大人の正論を求める必要はないんじゃないか、と思うのです。
何かを始めた後にだって、いろいろなことに気づくチャンスは、
いっぱい転がっていますから。
「教えない、教え方」。
ぜひ、いろいろな方のお話・経験を聞いてみたいな、と思っています。
≪教えない、教え方(以前の記事)≫http://educator02.blog88.fc2.com/blog-entry-25.html
子『大人なのにこれ知らないの、やばいよね。』
母『そう?』
子『やだなー。笑われるの、やだ。』
母『そっか。笑われちゃうとやなんだ。』
子『やだよ。やっぱり、俺ちゃんと(勉強)やっとこーっと。』
またある日、大きな空気砲を作り、どこまで空気が届くか、という実験を
テレビで見ていた子どもと母親の会話から。
(その実験と解説に感動した様子の子どもが)
子『すごーーい。すごいよ、お母さん。』
母『あら。どうしたの?』
(説明する子ども。さらにテレビを見るよう勧める)
母『なんでこうなるんだろうね。』
子『それはね・・・(さっそく説明)』
母『へえ。そうなんだ。おもしろいね〜〜。』
『じゃあさ、もっと大きいのだったら、もっと遠くに飛ぶかな?』
子『(しばし考えて)重さに耐えられるようにしなくちゃいけないでしょー。それで・・・』
(考えを紙に書き始める子ども)
************************************
それが勉強の本質がどうか、正論かどうかの問題とは違いますが、
子どもが自分で何かに気づいて、行動しようとしていることに、
間違いはありません。
子どもが勉強に向かったり、学習をしようというきっかけは、
こんなところに転がっているものかもしれませんね。
こんなとき、ここぞとばかりに「そうなのよ。だからちゃんと勉強しなくちゃね!」
なんて言う必要はなさそうです、よ♪
私自身の考えですが、何かをし始めようとする動機そのものに、
大人の正論を求める必要はないんじゃないか、と思うのです。
何かを始めた後にだって、いろいろなことに気づくチャンスは、
いっぱい転がっていますから。
「教えない、教え方」。
ぜひ、いろいろな方のお話・経験を聞いてみたいな、と思っています。
≪教えない、教え方(以前の記事)≫http://educator02.blog88.fc2.com/blog-entry-25.html
2007.11.28 Wed
電車の中で交わされていた、ある親子の会話から。
『お母さん、こんどはツリー買ってくれるの?ねえ、ちゃんと買ってくれる?』
『そうね。日曜日に買いにいこうね。おじいちゃんも一緒にいけるんだって。』
『やったー。じゃあ、おじいちゃんの分もぼくが書いていい?』
『(??)○くん、書くの?何を書くの??』
『えっとねー。おじいちゃんのはー。”おじいちゃんが長生きしますように。”って書く。』
『(??)どこに?』
『ツリー。飾るの。お母さん、なんて書く?ぼく書いてあげよっか?』
『(なるほど!という表情で)あ〜、○くん七夕のときも、書いたの飾ったもんね。
ツリーにも飾るんだ。そっか、そっか。』
『え?だめ?(キョトン)』
『ううん。だめじゃないよ。じゃあ、お星様とかボールとかきれいにかざってから、みんなでお願い書こうか。
お母さんも書こ〜っと。お姉ちゃんもだね。』
途中でママが気づいたように、どうやら○くんは、七夕の日に短冊をつるした笹竹とクリスマスツリーがごっちゃになっていたようです(笑)
でも、家族思いの○くんの気持ちとかわいらしさとで、私は何だかとても心温まりました。
(実際、ツリーに”サンタさんへのお願い”を書いて飾るところもあるようですね)
きっと日曜にはクリスマスツリーがお家に運ばれ、みんなできれいに色採りどりのデコレーションをしながら、
○くんのかわいくて温かいお願いごと、元気で明るいお母さんのお願いごとなど、
ステキに飾られていくんだろうな〜、と思って聞いていました。
クリスマスできれいに飾られた街を歩くのも楽しいですが、
こんな風に、家族でひとつのイベントを楽しんでいくのもいいですよね。
飾りつけしかり、料理作りしかり。
その間の時間を、こんな風に家族で会話しながら一緒に作業していくのは、
とてもいい時間になるんじゃないかな。
私も日曜日には、小さなツリーを買いに行ってきます(*^_^*)
『お母さん、こんどはツリー買ってくれるの?ねえ、ちゃんと買ってくれる?』
『そうね。日曜日に買いにいこうね。おじいちゃんも一緒にいけるんだって。』
『やったー。じゃあ、おじいちゃんの分もぼくが書いていい?』
『(??)○くん、書くの?何を書くの??』
『えっとねー。おじいちゃんのはー。”おじいちゃんが長生きしますように。”って書く。』
『(??)どこに?』
『ツリー。飾るの。お母さん、なんて書く?ぼく書いてあげよっか?』
『(なるほど!という表情で)あ〜、○くん七夕のときも、書いたの飾ったもんね。
ツリーにも飾るんだ。そっか、そっか。』
『え?だめ?(キョトン)』
『ううん。だめじゃないよ。じゃあ、お星様とかボールとかきれいにかざってから、みんなでお願い書こうか。
お母さんも書こ〜っと。お姉ちゃんもだね。』
途中でママが気づいたように、どうやら○くんは、七夕の日に短冊をつるした笹竹とクリスマスツリーがごっちゃになっていたようです(笑)
でも、家族思いの○くんの気持ちとかわいらしさとで、私は何だかとても心温まりました。
(実際、ツリーに”サンタさんへのお願い”を書いて飾るところもあるようですね)
きっと日曜にはクリスマスツリーがお家に運ばれ、みんなできれいに色採りどりのデコレーションをしながら、
○くんのかわいくて温かいお願いごと、元気で明るいお母さんのお願いごとなど、
ステキに飾られていくんだろうな〜、と思って聞いていました。
クリスマスできれいに飾られた街を歩くのも楽しいですが、
こんな風に、家族でひとつのイベントを楽しんでいくのもいいですよね。
飾りつけしかり、料理作りしかり。
その間の時間を、こんな風に家族で会話しながら一緒に作業していくのは、
とてもいい時間になるんじゃないかな。
私も日曜日には、小さなツリーを買いに行ってきます(*^_^*)






