2008.05.07 Wed
忙しい毎日。追われるように過ぎる日常。
あれもこれもできていない。
何から手をつけていいかわからず不安だ。
そして、どんどん溜まっていくそれは・・・
そう。ストレス。
結婚して半年ほどだったでしょうか。
今から6年前。私にもそんな時期がありました。
家事にバタバタ、仕事にバタバタ。
理想の自分と現実の自分のギャップにはさまれている気がして、
自分を苦しくしてしまっていました。
みなさんにもそんな経験、ありませんか?
そんなことを、久しぶりに思い出すできごとがありました。
ことのはじまりは、先月に感じていたイライラ。
短気な自分、思いばかりが空回りしてどんどん視野が狭くなる自分が
さらに自分の首をしめていたようでした。
(今思うと、自分の未熟さやキャパシティを知るいい薬でした)
幸いにも、早い段階で自分のそうした状態に気づけたこと、
そして、周囲の協力をいただきながら解決へと進めたおかげで
大きなストレスを育ててしまわずにすんだのですが、
そのときに、今まで気づかずにいた「ストレスの卵たち」に気づいたのです。
兆候はこうです。
・「これでいいのか?」と迷いが増える。漠然とした焦りが起こる。
・何かに追われるように、とにかく忙しい!と思う。その感覚がある。
・やってもやっても終わりが見えない。
・家で休んでいても、何か落ち着かない。気になっている。
こうした、「焦り」「不安」「しっくりこない」といった感覚的なもの。
そして、
・思いついたり、「やりたい。」と思っていて、そのとき手がつけられなかったことがある。
・手がけていることやアイデアがまとまらない
という事実。
こういったものは、そのまま野放しにしていたり、
忘れようとして気晴らしをしても、必ずといっていいほど
ストレスに発展していきます。
そして、私が以前こんな状態になったとき、あることを教えてくれた人がいました。
『ストレスの卵を放置しないこと』
これが、ストレスフリーな状態を作るうえで、実はとても大事なことなんです。
…と、口で言うのは簡単ですよね!?
では、私が実際にアドバイスを受けてやってみたその方法を紹介しますね。
あれもこれもできていない。
何から手をつけていいかわからず不安だ。
そして、どんどん溜まっていくそれは・・・
そう。ストレス。
結婚して半年ほどだったでしょうか。
今から6年前。私にもそんな時期がありました。
家事にバタバタ、仕事にバタバタ。
理想の自分と現実の自分のギャップにはさまれている気がして、
自分を苦しくしてしまっていました。
みなさんにもそんな経験、ありませんか?
そんなことを、久しぶりに思い出すできごとがありました。
ことのはじまりは、先月に感じていたイライラ。
短気な自分、思いばかりが空回りしてどんどん視野が狭くなる自分が
さらに自分の首をしめていたようでした。
(今思うと、自分の未熟さやキャパシティを知るいい薬でした)
幸いにも、早い段階で自分のそうした状態に気づけたこと、
そして、周囲の協力をいただきながら解決へと進めたおかげで
大きなストレスを育ててしまわずにすんだのですが、
そのときに、今まで気づかずにいた「ストレスの卵たち」に気づいたのです。
兆候はこうです。
・「これでいいのか?」と迷いが増える。漠然とした焦りが起こる。
・何かに追われるように、とにかく忙しい!と思う。その感覚がある。
・やってもやっても終わりが見えない。
・家で休んでいても、何か落ち着かない。気になっている。
こうした、「焦り」「不安」「しっくりこない」といった感覚的なもの。
そして、
・思いついたり、「やりたい。」と思っていて、そのとき手がつけられなかったことがある。
・手がけていることやアイデアがまとまらない
という事実。
こういったものは、そのまま野放しにしていたり、
忘れようとして気晴らしをしても、必ずといっていいほど
ストレスに発展していきます。
そして、私が以前こんな状態になったとき、あることを教えてくれた人がいました。
『ストレスの卵を放置しないこと』
これが、ストレスフリーな状態を作るうえで、実はとても大事なことなんです。
…と、口で言うのは簡単ですよね!?
では、私が実際にアドバイスを受けてやってみたその方法を紹介しますね。
2008.04.30 Wed
「友だち親子」という言葉を最近よく耳にします。
そして、その話題に伴って、“是非論”に発展することもしばしばです。
肯定的な意見としてよく言われるのは、なんといっても『親子の仲がいいことは何より。』ということ。
何でも話せる、気兼ねがないなど、オープンな関係ができているためでしょう。
友だち親子と言われる人たちからは、明るい雰囲気が伝わってきます。
子どもに笑顔が多く、のびのびしている様子が印象的です。
一方、否定的な意見として多いのは、『親は、親・大人として教えるべきことをしっかり教えていくべきだ。大人の義務を果たそう(子どもが大人を敬い、しっかり学ぶ姿勢を身につけさせよう)』といったこと。
友だち=対等な関係であり、まだ未成熟な子どもに合わせることは、ときに迎合となり、
子どもに正しいことを教えていく立場としては、いい関係とはいえないのではないか・・・
ということですね。
この関係について、どちらも一理あるなあ、と感じる私ですが、
忘れてならないのは、是非論を問うとき、またこうした親子関係を考えるとき、
その根本はすべて、「大人が作り出した環境の中で、子どもが育っている」ということです。
子どもが初めから意思をもって、「友だち親子」になるわけではありません。
大人が自分にどう接し、どんな言葉を投げかけ、どんな環境を与え、どんな価値観を
伝えているか。
子どもはそうした、周りの大人や環境から、いろいろなことを学び、感じ、
やがて自分の価値観を持ち始めます。
その中の一つに「大人をどう見るか。敬うか。」といったものが含まれているわけです。
私自身のことを考えると、友だち親子、という言葉のもつ「明るさ」「オープンさ」は
とても好きですし、そういう関係をいいな、と思っています。
一方、大人である以上、子どもが子どもの今見えている視野にあわせた中でだけ
つきあっていくことは違う、とも思っています。
たとえそのときはうるさがられたとしても、すべてを理解してもらうことができなかったとしても、
人として大切な価値観、自分中心の理屈だけではない「社会を意識させるような考え方」、
知識、過去や歴史についても、折にふれ話していくことは大事です。
そのときには、子どものことを人として尊重しながらも、
確実に、「教える」「教わる」の関係がうまれることでしょう。
教える、教わるの関係は、スポーツでも勉強でも日常においても、“対等”という言葉とは
違うような気がします。
そしてそういう瞬間は、とても大事なものだと思うのです。
同じ立場でない存在として相手の前に立つのは、とても責任の重いことです。
同じ目線や立場でものを言う方が、よっぽど楽でしょう。
果たして、その立場にふさわしい人間なのか。
言うことはまともでも、自分はそのとおりできているのか。
そもそも、うるさい存在として疎まれ、話をすること自体を受け入れてもらえるか。
ハードルはどんどん高くなります。
それでも根本に「相手を思う」「信頼感」があれば、いわゆる“友だち親子”とそうでない関係の
いいところが組み合わさった、大人と子どもの関係ができあがるんじゃないか。
そんな風に考えています。
大人は、子どもと大人の両方を経験しています。
ですから、表面上の「干渉しない」「尊重する」という響きでごまかす「楽な大人」になってはいけないと思うのです。
そして同時に、「大人に都合のいい子ども像をおしつけて“今の子どもは・・・”と語る大人」には
決してなりたくない、と思います。
子どもは、まず初めの「手本」として大人のすることを見、大人が与えた下地(レディネス・環境)で
育ってきているんです。
大人である自分に責任をもち、同時に、自分が子どもだったときの気持ちや素直に感じていた感情が、今目の前の子どもにもあることを忘れない。
大変ですが、それをしていくことが必要だな、と思います。
最近会った友だち親子のコメントから、娘さんの言葉を紹介します。
『うちのママは、失敗ばっかりしてほっとけない感じ。できないのに、私の趣味とかすぐ真似するし、正直“大丈夫?”とか思うんだけど、私の話を一番真剣に聞いてくれるところとか、あと、親として言うべきことをびしっと言ってくれるとこは、そのときはケンカになるけどすごい信頼してる。いつも味方される方がうそっぽいし。マジで親なんだなって思う。』
子どもは、大人の接し方から本質的なところを見抜いているんですね。
そう感じた一言でした。
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そして、その話題に伴って、“是非論”に発展することもしばしばです。
肯定的な意見としてよく言われるのは、なんといっても『親子の仲がいいことは何より。』ということ。
何でも話せる、気兼ねがないなど、オープンな関係ができているためでしょう。
友だち親子と言われる人たちからは、明るい雰囲気が伝わってきます。
子どもに笑顔が多く、のびのびしている様子が印象的です。
一方、否定的な意見として多いのは、『親は、親・大人として教えるべきことをしっかり教えていくべきだ。大人の義務を果たそう(子どもが大人を敬い、しっかり学ぶ姿勢を身につけさせよう)』といったこと。
友だち=対等な関係であり、まだ未成熟な子どもに合わせることは、ときに迎合となり、
子どもに正しいことを教えていく立場としては、いい関係とはいえないのではないか・・・
ということですね。
この関係について、どちらも一理あるなあ、と感じる私ですが、
忘れてならないのは、是非論を問うとき、またこうした親子関係を考えるとき、
その根本はすべて、「大人が作り出した環境の中で、子どもが育っている」ということです。
子どもが初めから意思をもって、「友だち親子」になるわけではありません。
大人が自分にどう接し、どんな言葉を投げかけ、どんな環境を与え、どんな価値観を
伝えているか。
子どもはそうした、周りの大人や環境から、いろいろなことを学び、感じ、
やがて自分の価値観を持ち始めます。
その中の一つに「大人をどう見るか。敬うか。」といったものが含まれているわけです。
私自身のことを考えると、友だち親子、という言葉のもつ「明るさ」「オープンさ」は
とても好きですし、そういう関係をいいな、と思っています。
一方、大人である以上、子どもが子どもの今見えている視野にあわせた中でだけ
つきあっていくことは違う、とも思っています。
たとえそのときはうるさがられたとしても、すべてを理解してもらうことができなかったとしても、
人として大切な価値観、自分中心の理屈だけではない「社会を意識させるような考え方」、
知識、過去や歴史についても、折にふれ話していくことは大事です。
そのときには、子どものことを人として尊重しながらも、
確実に、「教える」「教わる」の関係がうまれることでしょう。
教える、教わるの関係は、スポーツでも勉強でも日常においても、“対等”という言葉とは
違うような気がします。
そしてそういう瞬間は、とても大事なものだと思うのです。
同じ立場でない存在として相手の前に立つのは、とても責任の重いことです。
同じ目線や立場でものを言う方が、よっぽど楽でしょう。
果たして、その立場にふさわしい人間なのか。
言うことはまともでも、自分はそのとおりできているのか。
そもそも、うるさい存在として疎まれ、話をすること自体を受け入れてもらえるか。
ハードルはどんどん高くなります。
それでも根本に「相手を思う」「信頼感」があれば、いわゆる“友だち親子”とそうでない関係の
いいところが組み合わさった、大人と子どもの関係ができあがるんじゃないか。
そんな風に考えています。
大人は、子どもと大人の両方を経験しています。
ですから、表面上の「干渉しない」「尊重する」という響きでごまかす「楽な大人」になってはいけないと思うのです。
そして同時に、「大人に都合のいい子ども像をおしつけて“今の子どもは・・・”と語る大人」には
決してなりたくない、と思います。
子どもは、まず初めの「手本」として大人のすることを見、大人が与えた下地(レディネス・環境)で
育ってきているんです。
大人である自分に責任をもち、同時に、自分が子どもだったときの気持ちや素直に感じていた感情が、今目の前の子どもにもあることを忘れない。
大変ですが、それをしていくことが必要だな、と思います。
最近会った友だち親子のコメントから、娘さんの言葉を紹介します。
『うちのママは、失敗ばっかりしてほっとけない感じ。できないのに、私の趣味とかすぐ真似するし、正直“大丈夫?”とか思うんだけど、私の話を一番真剣に聞いてくれるところとか、あと、親として言うべきことをびしっと言ってくれるとこは、そのときはケンカになるけどすごい信頼してる。いつも味方される方がうそっぽいし。マジで親なんだなって思う。』
子どもは、大人の接し方から本質的なところを見抜いているんですね。
そう感じた一言でした。
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2008.04.09 Wed
20年来の友人Mから、つい先日電話をもらいました。
2人の子育てに奮闘していたMの6年間。
ときには悩み相談、ときには近況報告と、
何かあるたびに連絡を取り合っていましたが、
今回は、約半年ぶりという久しぶりの電話でした。
前回電話で話したときは、Mが前にいた職場に復帰したばかりの時期でした。
下の娘さんが幼稚園になじみ、上の娘さんも小学校にあがったことをきっかけに、
仕事復帰をしたんだけれど、
1日のスケジュールも変わり、体力的にも精神的にもかなりハードだ、
というような話をしていました。
いつも元気200%のMが、珍しく弱音をはいていて、
これからの自分にも少し自信をなくしかけていたようでした。
そのときは、とにかく話を聞いて、聞いて、聞きました。
・今までの7年間と比べ、一緒に過ごす時間が圧倒的に少なくなったこと。
・「そのときでないと」という絶妙のタイミングで声をかけたり話を聞いたりすることが
難しくなっていること。
・娘さんがちょっとしたことで癇癪を起こすこと。赤ちゃんがえりを始めたこと。
・下の娘さんの人見知りが気がかりなこと。
・仕事と家庭の両立を、あきらめたくないこと。
・でも毎朝、『仕事をやめたほうがいいんだろうか。』と自問自答すること
・迷う気持ちがあること・・・
とにかく、いろいろなことが気がかりで。
でも、そんな中でも「元に戻る」選択肢ではなく、「今これからを切り開いていこう」という
彼女の意思が感じられたのを覚えています。
そしてそのあと彼女が、やってみようかな、といったのが“親子交換日記”だったのです。
「また電話するね。」と言って電話を切ったあの日から半年。
Mの声は、とても明るく自信と充実感に満ちた様子でした。
そして、それはあの“親子交換日記”の力が大きかったようです。
■“今日のママからのメッセージ”(「おかえり!」「つくえにあったパパのえ、じょうずにかけてたね。」などなど)
から始まり、
■“おやつはどーこだ?”(おやつを指定したり、いつもと違う場所に隠して、ヒントを出しておいたりする)
■“明日の夕飯リクエストコーナー”(空欄にしておいて、子どもたちが自由に書くスペース)
■“今日のできごとベスト3”(お互いに、今日あったできごとをベスト3形式に記入)
などなど。
日記としても楽しめる趣向ながら、
どんな1日を過ごしたのか知ることができたり、
ママがいなくてもさびしく思わないでいられる工夫があったり、
一緒に何かをやっている空気を作り出すこともできたり。
働くママの「子育ての知恵」を感じる話が満載でした。
また、日記を始めてからは、
字の読めない下の娘さんにお姉ちゃんが声に出して、
ママの日記を読んであげるなんていうほほえましい光景もあったそうです。
「読みたい」「伝えたい」という気持ちからか、
自然と字を覚えたり絵を描いて表現したりする積極的なところも出てきたと言っていました。
話を聞く中には、途中ずいぶん苦労もあったんだなあと感じたけれど、
発見したり工夫したりしながら、子どもたちと一緒に家族の時間を作り上げている実感を持てたそうです。
そして、大変だけど好きで始めた仕事にも、充実感を覚えているとのこと。
「めちゃくちゃ忙しいけど、自分と家族で人生を作り上げていってるって実感がけっこうあるんだよね。」
このMの言葉には本当に感心し、あらためて尊敬しました。
「さすが!ポジティブMの復活だね!!」
と言った私に、
「まあね(笑)。まだまだがんばるよ!」
と答えたM。
我が友ながらアッパレな自画自賛っぷりですが(笑)、
私も彼女から大事なことを学んだ思いがします。
限られた時間、限られた環境や条件。
それを嘆くのではなく、まわりにある資源を活かし、知恵を使って解決していく。
このことは、人を強くし、賢くし、そしてその人の人生をもっともっと豊かにしていくんだな、と。
私の生活の中にも、まだまだ工夫の余地がありそうです。
そしてそれは、もっと豊かに生きるための“まだ開かれていない宝箱”かもしれません
(よかったらお願いします)


2人の子育てに奮闘していたMの6年間。
ときには悩み相談、ときには近況報告と、
何かあるたびに連絡を取り合っていましたが、
今回は、約半年ぶりという久しぶりの電話でした。
前回電話で話したときは、Mが前にいた職場に復帰したばかりの時期でした。
下の娘さんが幼稚園になじみ、上の娘さんも小学校にあがったことをきっかけに、
仕事復帰をしたんだけれど、
1日のスケジュールも変わり、体力的にも精神的にもかなりハードだ、
というような話をしていました。
いつも元気200%のMが、珍しく弱音をはいていて、
これからの自分にも少し自信をなくしかけていたようでした。
そのときは、とにかく話を聞いて、聞いて、聞きました。
・今までの7年間と比べ、一緒に過ごす時間が圧倒的に少なくなったこと。
・「そのときでないと」という絶妙のタイミングで声をかけたり話を聞いたりすることが
難しくなっていること。
・娘さんがちょっとしたことで癇癪を起こすこと。赤ちゃんがえりを始めたこと。
・下の娘さんの人見知りが気がかりなこと。
・仕事と家庭の両立を、あきらめたくないこと。
・でも毎朝、『仕事をやめたほうがいいんだろうか。』と自問自答すること
・迷う気持ちがあること・・・
とにかく、いろいろなことが気がかりで。
でも、そんな中でも「元に戻る」選択肢ではなく、「今これからを切り開いていこう」という
彼女の意思が感じられたのを覚えています。
そしてそのあと彼女が、やってみようかな、といったのが“親子交換日記”だったのです。
「また電話するね。」と言って電話を切ったあの日から半年。
Mの声は、とても明るく自信と充実感に満ちた様子でした。
そして、それはあの“親子交換日記”の力が大きかったようです。
■“今日のママからのメッセージ”(「おかえり!」「つくえにあったパパのえ、じょうずにかけてたね。」などなど)
から始まり、
■“おやつはどーこだ?”(おやつを指定したり、いつもと違う場所に隠して、ヒントを出しておいたりする)
■“明日の夕飯リクエストコーナー”(空欄にしておいて、子どもたちが自由に書くスペース)
■“今日のできごとベスト3”(お互いに、今日あったできごとをベスト3形式に記入)
などなど。
日記としても楽しめる趣向ながら、
どんな1日を過ごしたのか知ることができたり、
ママがいなくてもさびしく思わないでいられる工夫があったり、
一緒に何かをやっている空気を作り出すこともできたり。
働くママの「子育ての知恵」を感じる話が満載でした。
また、日記を始めてからは、
字の読めない下の娘さんにお姉ちゃんが声に出して、
ママの日記を読んであげるなんていうほほえましい光景もあったそうです。
「読みたい」「伝えたい」という気持ちからか、
自然と字を覚えたり絵を描いて表現したりする積極的なところも出てきたと言っていました。
話を聞く中には、途中ずいぶん苦労もあったんだなあと感じたけれど、
発見したり工夫したりしながら、子どもたちと一緒に家族の時間を作り上げている実感を持てたそうです。
そして、大変だけど好きで始めた仕事にも、充実感を覚えているとのこと。
「めちゃくちゃ忙しいけど、自分と家族で人生を作り上げていってるって実感がけっこうあるんだよね。」
このMの言葉には本当に感心し、あらためて尊敬しました。
「さすが!ポジティブMの復活だね!!」
と言った私に、
「まあね(笑)。まだまだがんばるよ!」
と答えたM。
我が友ながらアッパレな自画自賛っぷりですが(笑)、
私も彼女から大事なことを学んだ思いがします。
限られた時間、限られた環境や条件。
それを嘆くのではなく、まわりにある資源を活かし、知恵を使って解決していく。
このことは、人を強くし、賢くし、そしてその人の人生をもっともっと豊かにしていくんだな、と。
私の生活の中にも、まだまだ工夫の余地がありそうです。
そしてそれは、もっと豊かに生きるための“まだ開かれていない宝箱”かもしれません
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2008.03.28 Fri
マイブームで運動を始めた、との日記を先日書きました。(先日の記事はこちら⇒http://educator02.blog88.fc2.com/blog-entry-39.html)
痩せよう、体作りをちゃんとしよう!と思いたって、
またその先の目標である「ダンス」の下準備ということもあって、
どうにかこうにか、今も続けることができています。
しかし。
この続ける、目標に向かっていく、ということ。
ふだんの生活では、なかなかどうして大変なことだな〜、とも思うわけで。
ときに気が乗らなかったり、つい他のことに気をとられたり。
2日続けて休んでしまった日には、3日目に始めようとすると、
ふだんの倍の負荷が(体にも心にも)かかります。
「魔物」はあちこちに潜んでいるものです。
もともと1つのことに凝ってストイックに極めていく・・・ということが苦手な性分の
私は、自分のモチベーションを「目標達成」だけに置くと、ことごとく失敗をしてしまいます。
原因ははっきりしています。
それは、自分の“弱み”と大きく関わっています。
もちろんそんな私でも、やっぱり目標は達成したい!なりたい自分に近づきたい!という思いは、
あります。
実際に今までにも、「目標達成」をしてきたことはありますし、
わりと貪欲にいろいろチャレンジするタイプでもあります。
でも、私の場合、残念ながら「意思の強さ」だけで達成できるほどしっかりした人間では
ないため、決して簡単なことではありません。
みなさんは、何かを「やろう」と思ったとき、どんな成功イメージが浮かびますか?
どんな過程を進み、そのときの自分はどんな気持ちでいるでしょうか?
お子さんの場合はどうですか?
ひとつのことをやり遂げようとするとき、どんな方法をとると頑張る力がわいてくるんでしょうか。
考えてみると、同じ「目標を達成する」といっても、その過程は様々です。
・一つひとつこなしていくことから「目標に近づく喜び」を感じる人、
・その過程の苦しみの中に、「これだけやっている!」という充実感を感じる人、
・自分一人だとくじけるけれど、仲間や先生がいると「やるぞ!」と続けられる人
・逆に、自分と向き合って「自分に克つ」ことが続けるモチベーションになる人
必要だと思うのは、自分のそういう弱み、そして強みをちゃんと自覚して、
そこに向き合った上で、「では、どうしたらいいか」を考えて行動すること。
私自身は、それを実体験から感じています。
恥ずかしながら、私は「相当の怠け者」「快楽主義」であり、
「持久力に乏しく」「熱しやすい」という特徴があります。
「先入観なく、いろいろなものに飛び込んでいく。おもしろがる」という特徴もあります。
「好奇心旺盛」といえば聞こえはいいですが、
「あまり深く考えず、すぐに行動に移してしまう安直さ」と背中合わせ。
始めてはみたものの、すぐに壁にぶつかって形にならないまま中途半端だったことも、
過去にいくつもありました。
そんな弱みは、目標達成において「障害」になります。
その「障害」は、自分で自分のやる気を萎えさせてしまうという「大きな天敵」です。
自分に克つ・・・なんと難しい!!
だから、自分で何かをやろう!とするとき、私の場合は、そういう自分の弱みをちゃんと自覚して、
また、「楽しいこと・ノリのあることにはパワーが発揮される」という強み(?)も取り入れて、
成功までのイメージをいろいろと想像することにしました。
「もしかすると、今はやる気になってるけど、すぐに飽きるかもしれないな。本当に手をつけて大丈夫?(自問自答して、ひと呼吸おく)」
「自分だけだと続かないから、スクールに入って、あえて定期的にやるようにした方がいいかな。(自分の意思の弱さを自覚)」
「同じ体を鍛えるなら、絶対楽しい(好きなものの)方がいいから、マラソンじゃなくてダンスだな。」
「ダンス習ったら、体もしまるし、また好きな音楽に合わせて踊れるようになるし、一石二鳥だなー」
「かっこいい体型になれるかもな〜。」
「ダンスしてる時間は絶対気持ちいいよな〜。」
「時間や場所の制限で続けられないとやる気がなくなるなあ。近くで時間の自由の利くところをさがそう」
などなど。
そして、こういう自分自身に「できそう!」「できたらこんなにhappyなことがある」
とイメージをもつこと、同時に不安要素(自分の弱み・陥りやすい失敗パターン)は、
事前に「こうなりそうだから、こうしておこう」と対処すること。
これが、私にとって1番の「目標達成法」です。
そこには、“ストイック”という言葉は見当たりません。
成功者には、少なからずこの”ストイックさ”が必要だと思いますし、
こだわりや強い意思が不可欠です。そしてそれは、今の私に足りないものなのです。
それでも私には、私の「正攻法」があるような気がしています。
途中には、自分で小さい成功のステージを設けて、小さい成功体験を積み重ねることも忘れない。
モチベーションをかけ続けるには効果的です。
そして、がんばっている自分、目標に近づいている自分に気づけば、
今度はどんどん欲が出てきます。
その欲は、高い目標にも「もう少し粘ろう」「もう少し続けよう」というように
「自分の意思」を自然と鍛えてくれます。
続ける工夫をして少しがんばれば、この「欲」がわいてくる。
そして持久力が少しずつついてくる。
だから、始めは「意思が弱い自分」であっても、途中まで進めることができれば、
その間に自信がつき、欲が芽生え、「自分の中に強い意思が育っていく」。
よし、途中までがんばる工夫をしよう。
実は、そんな鍛え方もできるんだと気づきました。
高い目標に向かって自分の強い意思でまっすぐ進んでいく人。
そういう人たちと比べると、私は回り道、道草だらけの遠回りかもしれません。
それでも、最後には同じ場所にたどりつくぞ!私は私の目標をしっかりやりとげるぞ!
と、思っている私がいます。
だから今日も、”牛の歩み、コアラの快楽日和”で歩き続けていこう。
そう思っています。
みなさんは、どんな“成功・正攻法”をお持ちですか?
(よかったらお願いします)


痩せよう、体作りをちゃんとしよう!と思いたって、
またその先の目標である「ダンス」の下準備ということもあって、
どうにかこうにか、今も続けることができています。
しかし。
この続ける、目標に向かっていく、ということ。
ふだんの生活では、なかなかどうして大変なことだな〜、とも思うわけで。
ときに気が乗らなかったり、つい他のことに気をとられたり。
2日続けて休んでしまった日には、3日目に始めようとすると、
ふだんの倍の負荷が(体にも心にも)かかります。
「魔物」はあちこちに潜んでいるものです。
もともと1つのことに凝ってストイックに極めていく・・・ということが苦手な性分の
私は、自分のモチベーションを「目標達成」だけに置くと、ことごとく失敗をしてしまいます。
原因ははっきりしています。
それは、自分の“弱み”と大きく関わっています。
もちろんそんな私でも、やっぱり目標は達成したい!なりたい自分に近づきたい!という思いは、
あります。
実際に今までにも、「目標達成」をしてきたことはありますし、
わりと貪欲にいろいろチャレンジするタイプでもあります。
でも、私の場合、残念ながら「意思の強さ」だけで達成できるほどしっかりした人間では
ないため、決して簡単なことではありません。
みなさんは、何かを「やろう」と思ったとき、どんな成功イメージが浮かびますか?
どんな過程を進み、そのときの自分はどんな気持ちでいるでしょうか?
お子さんの場合はどうですか?
ひとつのことをやり遂げようとするとき、どんな方法をとると頑張る力がわいてくるんでしょうか。
考えてみると、同じ「目標を達成する」といっても、その過程は様々です。
・一つひとつこなしていくことから「目標に近づく喜び」を感じる人、
・その過程の苦しみの中に、「これだけやっている!」という充実感を感じる人、
・自分一人だとくじけるけれど、仲間や先生がいると「やるぞ!」と続けられる人
・逆に、自分と向き合って「自分に克つ」ことが続けるモチベーションになる人
必要だと思うのは、自分のそういう弱み、そして強みをちゃんと自覚して、
そこに向き合った上で、「では、どうしたらいいか」を考えて行動すること。
私自身は、それを実体験から感じています。
恥ずかしながら、私は「相当の怠け者」「快楽主義」であり、
「持久力に乏しく」「熱しやすい」という特徴があります。
「先入観なく、いろいろなものに飛び込んでいく。おもしろがる」という特徴もあります。
「好奇心旺盛」といえば聞こえはいいですが、
「あまり深く考えず、すぐに行動に移してしまう安直さ」と背中合わせ。
始めてはみたものの、すぐに壁にぶつかって形にならないまま中途半端だったことも、
過去にいくつもありました。
そんな弱みは、目標達成において「障害」になります。
その「障害」は、自分で自分のやる気を萎えさせてしまうという「大きな天敵」です。
自分に克つ・・・なんと難しい!!
だから、自分で何かをやろう!とするとき、私の場合は、そういう自分の弱みをちゃんと自覚して、
また、「楽しいこと・ノリのあることにはパワーが発揮される」という強み(?)も取り入れて、
成功までのイメージをいろいろと想像することにしました。
「もしかすると、今はやる気になってるけど、すぐに飽きるかもしれないな。本当に手をつけて大丈夫?(自問自答して、ひと呼吸おく)」
「自分だけだと続かないから、スクールに入って、あえて定期的にやるようにした方がいいかな。(自分の意思の弱さを自覚)」
「同じ体を鍛えるなら、絶対楽しい(好きなものの)方がいいから、マラソンじゃなくてダンスだな。」
「ダンス習ったら、体もしまるし、また好きな音楽に合わせて踊れるようになるし、一石二鳥だなー」
「かっこいい体型になれるかもな〜。」
「ダンスしてる時間は絶対気持ちいいよな〜。」
「時間や場所の制限で続けられないとやる気がなくなるなあ。近くで時間の自由の利くところをさがそう」
などなど。
そして、こういう自分自身に「できそう!」「できたらこんなにhappyなことがある」
とイメージをもつこと、同時に不安要素(自分の弱み・陥りやすい失敗パターン)は、
事前に「こうなりそうだから、こうしておこう」と対処すること。
これが、私にとって1番の「目標達成法」です。
そこには、“ストイック”という言葉は見当たりません。
成功者には、少なからずこの”ストイックさ”が必要だと思いますし、
こだわりや強い意思が不可欠です。そしてそれは、今の私に足りないものなのです。
それでも私には、私の「正攻法」があるような気がしています。
途中には、自分で小さい成功のステージを設けて、小さい成功体験を積み重ねることも忘れない。
モチベーションをかけ続けるには効果的です。
そして、がんばっている自分、目標に近づいている自分に気づけば、
今度はどんどん欲が出てきます。
その欲は、高い目標にも「もう少し粘ろう」「もう少し続けよう」というように
「自分の意思」を自然と鍛えてくれます。
続ける工夫をして少しがんばれば、この「欲」がわいてくる。
そして持久力が少しずつついてくる。
だから、始めは「意思が弱い自分」であっても、途中まで進めることができれば、
その間に自信がつき、欲が芽生え、「自分の中に強い意思が育っていく」。
よし、途中までがんばる工夫をしよう。
実は、そんな鍛え方もできるんだと気づきました。
高い目標に向かって自分の強い意思でまっすぐ進んでいく人。
そういう人たちと比べると、私は回り道、道草だらけの遠回りかもしれません。
それでも、最後には同じ場所にたどりつくぞ!私は私の目標をしっかりやりとげるぞ!
と、思っている私がいます。
だから今日も、”牛の歩み、コアラの快楽日和”で歩き続けていこう。
そう思っています。
みなさんは、どんな“成功・正攻法”をお持ちですか?
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2008.03.18 Tue
今日、ある本を読んで、
『なるほど!!』
と、とても納得のいく、いわゆる「腑に落ちる」内容に出会いました。
それは、「わかる」ということの意味について。
今まで私の中では、「わかる」というのは、その内容に「共感」したり、「納得」できたり。
「理解できる」=「腑に落ちる」「しっくりくる」といった、感覚を通して「わかる」という体験と
セットにしてきたように思います。
文の中に書かれていることの意味が、自分の中で「モノになる」感覚。
数式の示す意味が「自分で実感できる。他の何かにも置き換えられる。=解ける」という体験。
ですから昔は、頭で「わかった(と思った)こと」を、すぐに実感と結び付けようと(無意識ですが)していました。
別の問題を実際に解いてみたり、声に出して確認して刻み付ける。定着させる。体におぼえさせる。
だから、「実感したがる」くせがありました。
「わかる」=「しっくりくる」「腑に落ちる」といった感覚とセットになっている、ということなんですね。
ところが、この「わかる」ということを、別の言葉で表現する人もいます。
「目に浮かぶ」「イメージできる(イメージがわく)」「明らかだ(明らかになった)」
逆に、あまりよくわからないことを
「ぼやけている」「はっきりしない」「まだイメージがわかない」
といった言葉であらわす。
つまり、「わかる」=「はっきりしたイメージが見える・描かれる」という感覚なのでしょう。
「目の前が開かれるようにクリアになる」という事実。
また、こんな人もいるそうです。
「〜にというように聞こえた」「(話を聞いて)わかった」
「わかったこと」=自分が理解したことを別の表現に置き換えて、言葉で説明してみる、
という行動を多くとる。
「わかる」=「言葉で説明できる。言葉に置き換えられる。」
ストーリーのように、情報(言葉)がつながってスルスルと出てくる感覚。
さあ、どうでしょう?
以前にも書いたことがありますが、
これは、情報処理にどの優位感覚が働いているか、をあらわしているんですね。
視覚的にイメージしたり、理解できる(自然とそうなることも含めて)、
または、わかろうとするタイプ。
耳で聞いたものや言葉、そのつながり(ストーリーや情報の連関)でイメージしたり、
理解しようとするタイプ。
自分の感覚(体感・触感など)を使って、イメージしたり、理解しようとするタイプ。
もし、話している相手が、(それは子どもであっても大人であっても)
自分が話をするときどんな反応を示しているか、「わかった」とき、「伝わった」とき、
どんな風に「わかった」表現をしているか。
そこには、コミュニケーションの大きなヒントがあるんだと、あらためて気づきました。
「この人にはなかなかわかってもらえない」と、嘆いたりイライラする前に、
1度チェックしてみませんか?
「私は、どんな前提で『相手はわかるはずだ』と思っているんだろう」
「私は、どんな風に相手に伝えたんだろう」
「相手は、わからないことを「どうわからない」「何がわからない」と言ったんだろう」
「相手は、「わかる」ことを、どの時点で「わかる」というんだろう」
そこに、もしかすると自分の「わかる」とは違う「わかる」が潜んでいるかもしれません。
だから、子どもに何かをおしえるときも、
相手が「わかる」ための方法は、自分の得意な方法だけでなく、
いろんなアプローチ方法をもっていたいと思います。
「目で見て」「耳で聞いて」「体を使って」覚えたり、理解したりできる。
それらを通して、子どもの理解力も上がり、また私たちの教えるスキル・伝える力も
上がっていくんだと思いました。
(よかったらお願いします)


さらに続きは・・・こちら↓
『なるほど!!』
と、とても納得のいく、いわゆる「腑に落ちる」内容に出会いました。
それは、「わかる」ということの意味について。
今まで私の中では、「わかる」というのは、その内容に「共感」したり、「納得」できたり。
「理解できる」=「腑に落ちる」「しっくりくる」といった、感覚を通して「わかる」という体験と
セットにしてきたように思います。
文の中に書かれていることの意味が、自分の中で「モノになる」感覚。
数式の示す意味が「自分で実感できる。他の何かにも置き換えられる。=解ける」という体験。
ですから昔は、頭で「わかった(と思った)こと」を、すぐに実感と結び付けようと(無意識ですが)していました。
別の問題を実際に解いてみたり、声に出して確認して刻み付ける。定着させる。体におぼえさせる。
だから、「実感したがる」くせがありました。
「わかる」=「しっくりくる」「腑に落ちる」といった感覚とセットになっている、ということなんですね。
ところが、この「わかる」ということを、別の言葉で表現する人もいます。
「目に浮かぶ」「イメージできる(イメージがわく)」「明らかだ(明らかになった)」
逆に、あまりよくわからないことを
「ぼやけている」「はっきりしない」「まだイメージがわかない」
といった言葉であらわす。
つまり、「わかる」=「はっきりしたイメージが見える・描かれる」という感覚なのでしょう。
「目の前が開かれるようにクリアになる」という事実。
また、こんな人もいるそうです。
「〜にというように聞こえた」「(話を聞いて)わかった」
「わかったこと」=自分が理解したことを別の表現に置き換えて、言葉で説明してみる、
という行動を多くとる。
「わかる」=「言葉で説明できる。言葉に置き換えられる。」
ストーリーのように、情報(言葉)がつながってスルスルと出てくる感覚。
さあ、どうでしょう?
以前にも書いたことがありますが、
これは、情報処理にどの優位感覚が働いているか、をあらわしているんですね。
視覚的にイメージしたり、理解できる(自然とそうなることも含めて)、
または、わかろうとするタイプ。
耳で聞いたものや言葉、そのつながり(ストーリーや情報の連関)でイメージしたり、
理解しようとするタイプ。
自分の感覚(体感・触感など)を使って、イメージしたり、理解しようとするタイプ。
もし、話している相手が、(それは子どもであっても大人であっても)
自分が話をするときどんな反応を示しているか、「わかった」とき、「伝わった」とき、
どんな風に「わかった」表現をしているか。
そこには、コミュニケーションの大きなヒントがあるんだと、あらためて気づきました。
「この人にはなかなかわかってもらえない」と、嘆いたりイライラする前に、
1度チェックしてみませんか?
「私は、どんな前提で『相手はわかるはずだ』と思っているんだろう」
「私は、どんな風に相手に伝えたんだろう」
「相手は、わからないことを「どうわからない」「何がわからない」と言ったんだろう」
「相手は、「わかる」ことを、どの時点で「わかる」というんだろう」
そこに、もしかすると自分の「わかる」とは違う「わかる」が潜んでいるかもしれません。
だから、子どもに何かをおしえるときも、
相手が「わかる」ための方法は、自分の得意な方法だけでなく、
いろんなアプローチ方法をもっていたいと思います。
「目で見て」「耳で聞いて」「体を使って」覚えたり、理解したりできる。
それらを通して、子どもの理解力も上がり、また私たちの教えるスキル・伝える力も
上がっていくんだと思いました。
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2008.03.12 Wed
今日は久しぶりに、子ども英語の話題を。
3月に入り、新学期が間近なせいか、塾や英会話学校のチラシが増えています。
教室の前で、熱心にパンフレットやポスターを見ているママたちの姿も
よく見かけます。
聞いてみると、願いの多くは『わが子に英語を身につけてほしい』ということの
ようですが、
そのイメージというのは、以前にも書いたとおり『得点のとれる(書ける)英語力<聞けて話せる英語力』が圧倒的です。
聞けて話せる英語力というのは、実は、子どもだけでなく大人である私たちも願うイメージなのではないでしょうか?
自分たちが受けてきたかつての英語授業で、何が一番物足りなかったか・・・
どうしてもその答えには
「もっと英語を話す機会があればよかった」「楽しくためになる英語を習いたかった」
といった声が多くふくまれているようです。
ですから、子どもたちに期待する英語力は、
翻って、今なお自分が願い、思い描く理想の英語力…必要だと感じる英語力なんじゃないかと
おもうのです。
以前も記事に書きましたが、そんな大人の願望までをも担って
いま、子どもたちは「小学校から英語」の時代を生きようとしています。
大変だな〜、と思われる方もいらっしゃるでしょうが、実は子どもたちにとって、
小学生から英語にふれるなんて、まさに英語のゴールデンエイジ、なんですよね。
それは、子どもたちの「聞く力」にヒントがあるのです。
ちょうど、子ども英語とその「耳」ついて、おもしろい記事を見つけましたので、
そのままご紹介しますね。
歌手の綾戸智絵さんが子ども達に英語を教える番組のビデオを見たことがあります。英語の歌を聞かせて、子ども達にどのように英語の歌が聞こえるかをカタカナで書かせていました。曲は「Let it be」。
多くの子ども達は「レリビー」と聞こえたと反応していた記憶があります。
(続きの記事はこちら↓)
http://educator01.blog88.fc2.com/
いかがですか?
子どもの英語耳への期待と、それを上手に引き出し伸ばす、私たち大人の役割が
何だか見える気がしました。
気が向いた方は、以前に私keroriの書いたこちらの記事ものぞいていただけたら嬉しいです。
→おそるべし!9歳の英語耳
→英語上手になるヒント
この春。みんながいいスタートをきれますように☆
(よかったらお願いします♪)
3月に入り、新学期が間近なせいか、塾や英会話学校のチラシが増えています。
教室の前で、熱心にパンフレットやポスターを見ているママたちの姿も
よく見かけます。
聞いてみると、願いの多くは『わが子に英語を身につけてほしい』ということの
ようですが、
そのイメージというのは、以前にも書いたとおり『得点のとれる(書ける)英語力<聞けて話せる英語力』が圧倒的です。
聞けて話せる英語力というのは、実は、子どもだけでなく大人である私たちも願うイメージなのではないでしょうか?
自分たちが受けてきたかつての英語授業で、何が一番物足りなかったか・・・
どうしてもその答えには
「もっと英語を話す機会があればよかった」「楽しくためになる英語を習いたかった」
といった声が多くふくまれているようです。
ですから、子どもたちに期待する英語力は、
翻って、今なお自分が願い、思い描く理想の英語力…必要だと感じる英語力なんじゃないかと
おもうのです。
以前も記事に書きましたが、そんな大人の願望までをも担って
いま、子どもたちは「小学校から英語」の時代を生きようとしています。
大変だな〜、と思われる方もいらっしゃるでしょうが、実は子どもたちにとって、
小学生から英語にふれるなんて、まさに英語のゴールデンエイジ、なんですよね。
それは、子どもたちの「聞く力」にヒントがあるのです。
ちょうど、子ども英語とその「耳」ついて、おもしろい記事を見つけましたので、
そのままご紹介しますね。
歌手の綾戸智絵さんが子ども達に英語を教える番組のビデオを見たことがあります。英語の歌を聞かせて、子ども達にどのように英語の歌が聞こえるかをカタカナで書かせていました。曲は「Let it be」。
多くの子ども達は「レリビー」と聞こえたと反応していた記憶があります。
(続きの記事はこちら↓)
http://educator01.blog88.fc2.com/
いかがですか?
子どもの英語耳への期待と、それを上手に引き出し伸ばす、私たち大人の役割が
何だか見える気がしました。
気が向いた方は、以前に私keroriの書いたこちらの記事ものぞいていただけたら嬉しいです。
→おそるべし!9歳の英語耳
→英語上手になるヒント
この春。みんながいいスタートをきれますように☆
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2008.03.09 Sun

3月になり、心なしか風が暖かくなってきました。
春が来たんだな、と感じます。
春らしさを感じるところはいろいろあります。
私は特に、風や空気、そして街や電車で見かける色、
そして何より、人の雰囲気から春を感じることが多いです。
春は冬と比べて街や人に彩りが増え、やわらかな雰囲気が増します。
人の雰囲気も、どこかウキウキするような、軽やかになっていくような。
そんな気がしています。
今日は、そんな春を感じる場所、「松田の桜祭り」に行ってきました。
イメージしていた桜より、少しピンクの濃い桜。
黄色が鮮やかな菜の花。
そのコントラストに、思わず
『うわ〜!!きれい』
と声をあげてしまいました。
気づくと、周りのお父さん・お母さん、そして子どもたちも、
口々に感嘆の声をあげています。
その会話に耳をすませると、とてもおもしろい発見がありました。
ある子は
『うわ〜。いろんなにおいがまざってる〜。お花のにおいだねー。桜のにおいかな〜』
花に鼻を近づけてみたり、空気を大きく吸い込んでみたり、
ある子は
『お母さん!!ここから見ると、ピンクと黄色が重なってつながって見えるよー。写真撮ろうよ!』
いろいろな角度から花や木を見たり、手にとってじっと観察したり。
またある子は、桜よりもそこから一望できる街の風景に興味しんしん。
しかも、橋と道路と河が織り成す一枚の絵のような風景がとても気に入ったようで、
『あの道からこう来ると・・・河ときれいに十字型になるんだよな〜。』
なんて言いながら手を動かして、まるで図面をひく設計者のようでした。
ある女の子は、俳句を詠むかのように節をつけながら
『さくらいろ きいろもあるね きれいなじゅうたん はちもちょうちょも てんごくてんごく♪』
ケンケンしながら、階段を元気に降りていきました。
その子はその後も、公園の中にある遊具を見つけては
『これはくるくるしてるから、“まるまるのぼり棒”って名前にしよう。』
そういってネーミングしたり、あれこれコメントしたり。
私たちは、面白い言葉表現をする子だな〜、と、ほほえましく見ていました。
子どもたちは、同じ場所にいて、同じものを見て、聞いて、感じているように思いますが、
それぞれ興味の対象、感じ方、そして感じたこと・気づいたことの表現は、
本当に十人十色です。
よく観察してみると、それぞれ「どんな感覚がよく発達しているか」「どんなことに強みがあるのか」
「何が関心の中心にあるのか」が、とてもよくわかります。
私たち大人にも、もちろんその「感覚の強み」があるわけで、それは人それぞれ違うわけですが、
子どもたちが無意識に発しているその「強み」を、私たちが上手にキャッチして、
その子どもたちが自信をもって強みを伸ばしていかれるようにサポートしていけたらいいな、
と思います。
「色」「風景」「形」など、目に入る情報をパッとつかめる子には、
そうした視覚的な情報処理に強みがありそうです。
積み木やパズルなど、図形やチャートといったものが得意になるかもしれませんね。
「言葉」で表現することをおもしろがったり楽しんだりする子には
多くの「言葉あそび」の機会が、能力を刺激してあげられそうです。
本を読んだり、お話をつくったりしながら、情緒も表現力も豊かに育つかもしれません。
子どもたちとの何気ない日常に、
たくさんのキラキラした宝物が見えるなんて
本当に楽しいことですね♪
春らしい1日を、十分満喫できました。

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